佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

玉の井と京成バス

 

永井荷風玉の井ルポ「寺じまの記」(昭和11年)を読んでいたら、「京成乗合自動車」が出ていた。

「寺じまの記」によれば浅草から玉の井に行くには二通りあって、一つは「市営乗合自動車」、もう一つは「京成乗合自動車」。「市営」か「京成」かは、それぞれ車の横腹に明記してあり、永井荷風は「京成乗合自動車」をチョイスして玉の井へ向かうのです。

 

(そういえば、先日、激しく再開発された南千住を歩いていたら、やはり京成のミニバスと都営バスが交互に走っていて、さらにショッピングモールに入っているスーパーもリブレ京成で、「ああ、このあたりは京成の勢力圏なんだなあ」と思ったことでした。ちなみに南千住から橋を渡るとすぐ「鐘ヶ淵」。「鐘ヶ淵」のとなり駅が玉の井東向島です。)

 

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下の漫画は昭和3年「現代漫画大観 日本巡り」。玉の井行きの乗合自動車が全盛であると書かれています。wikiによれば、「京成」が「昭和6年に、浅草を起点に玉ノ井・四ツ木・立石周辺に路線を有していた隅田乗合自動車を買収した」とあるので、この漫画が出版された昭和3年の段階では、乗合自動車は「京成」のものではなかったと思われます。

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武蔵野夫人

『武蔵野夫人』を読んだ。

占領下に発表された小説。

 

舞台となる場所は、“多磨地区は軍都だったッ”的な本でおなじみのエリア。なので、敗戦後は接収されてる場所もあるだろうに、進駐軍はほとんど出てこない。

 

唯一の例外は、

“近所の飛行場(調布飛行場)に進駐軍が来るから(自害用に)青酸カリ持っとく?”

みたいな会話。

しかし外国文学を学んだ設定の登場人物は、“自分は、米兵の礼節を信じているから☆”と青酸カリの件を一笑に付す。こいいう肯定的な表現はOKなのですな。

 

駅前にパンパンがいるシーンも「パンパンとその客」とだけあって、「客」がどういう人なのか一切書いてない。

 

そのほか、『武蔵野夫人』では

「街道には外国の車がひっきりなしに走っていた」

飛行場の将校集合所」

「碧の濃い秋空にはどこを飛ぶのか飛行機の爆音に充ち」

と、占領に関することは、すべてボンヤリした書き方。当時の読者はこれで十分すぎるほど理解できただろうけど、後世の読者にはわかりずらい!

 

(そうういえば久生十蘭の『母子像』も、厚木基地の米兵を「毎土曜日の午後、朝鮮から輸送機でつくひと」と、めちゃくちゃ曖昧にしていたっけ)

 

小説の中では、ぼかされているアレコレだが、銀座の標識には飛行場の場所としてバッチリ明記されている。武蔵野夫人のすぐそばの調布飛行場をはじめとして、府中、立川、入間など飛行場や通信施設のある場所までの距離が一目瞭然。flickrより

 

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モボモガと村山貯水池

昭和3年「現代漫画大観 日本巡り」より、村山貯水池付近を散策するモボとモガ。

 

Google マップ

 

 村山貯水池は、通称「多摩湖」。東村山音頭の「 庭先ゃ多摩湖 ♪」の「多摩湖」です。大正5年から昭和2年の間に建設されました。

 

地図で解明! 東京の鉄道発達史 (単行本)には、昭和13年西武鉄道が村山貯水池を日帰り可能な景勝地として大ブッシュしているパンフレットが掲載されています。パンフレットは、高田馬場からわずか30分!とうたっており、菊池寛による賛辞の言葉〝京都に行かなくたって村山貯水池で山紫水明気分が得られるよ(大意)〟を使って村山貯水池の良さをアピールしています。当時の西武は村山貯水池付近にお洒落な洋館ホテルも建てている。人造湖と洋館ホテルの組み合わせ。洋装のモボやモガはここに宿泊して、欧羅巴のどこかにいるつもりになれたのたかもしれません。

 

獅子文六の小説「カレーライス」では、さびれた洋食屋で働く若い男女が"今度の公休は一緒に村山貯水池へ行こう"と約束をしています。村山貯水池は、そういう階層のカップルでも手軽に行ける場所だったでしょう)

 

村山貯水池が登場する小説として大岡昇平の「武蔵野夫人」があります。村山貯水池脇のホテルで不倫カップルが、一線を越える・越えないで大騒ぎする話。この小説が発表されたのは、昭和25年です。西武が村山貯水池推しの派手なパンフレットを作ってからわずか12年後の話なのですが、その間に日本は敗戦を体験しました。湖畔のお洒落ホテルも、敗戦を経てすっかりさびれてしまった様子が描かれています。(この湖畔ホテルに限らず、戦前はモボモガの憧れであったモダン施設が、戦中に荒廃し負のオーラを放つというケースは「京王閣」「花月園」をはじめとして、かなり多かったのではないかしら。)

  

「武蔵野夫人」に出てくる村山貯水池の説明を読むと、冒頭の風刺漫画でモボとモガが軽薄そうに散歩している様子が、決して誇張ではなかったことがわかります。

この丘陵の懐は、つまり東京都の水道を賄う村山貯水池にほかならず、ちょうど富子の女学生時代にそれが竣工し、谷を埋めた人工の湖の景観が、東京市民ことに男女学生の興味を引いて、湖畔にいわゆるアベック休憩のホテルがあるのを彼女は知っていた。

文中に出てくる「富子」というのは、コケティッシュな発展家タイプの女性で、小説の中では30歳という設定です。西武のパンフレットが昭和13年に、村山貯水池を"身近な景勝地"として売り出していた時期は、まさに彼女の女学生時代に相当します。富子は女学生時代の記憶を元にして、村山貯水池のホテルに若い男を誘うのでした。

  

おまけ:村山貯水池には「狭山公園」が隣接しています。「狭山公園」も昭和13年の西武鉄道パンフレットで推している場所なんですね。そんな狭山公園ですが。かつては「アカハタまつり」の会場になっていたそうです。レッドアローとスターハウス: もうひとつの戦後思想史 (新潮文庫)には、西武鉄道が「アカハタまつり」の日程に合わせて新宿と池袋に特設切符売り場を設けていた歴史が書かれています。にもかかわらず西武の機関誌自体には「アカハタまつり」の記事はいっさい出ていないそうです。

 

幻の地下鉄

 

地図で解明! 東京の鉄道発達史 (単行本)を読んでいたら、大正に計画されていた幻の地下鉄路線が出ていた。

路線は以下の通り。

 

始発駅と終点の駅は、

 

築地→小村井

荏原町北千住

恵比寿→下板橋

渋谷→月島

角筈(現・西新宿)→砂町

池袋→大島

 

これを見て驚いた。

終点が、ほとんど東京の東側。しかも、かつての工場地帯。たぶん東京生まれの人も、「どこ?それ?」という地名が多いのでは。

 

昔の地下鉄って、繁華街と繁華街を結んだり、デパートの力で建物直結にしてみたりする浮かれたものだと思いこんでいたから、この地下鉄計画は意外だった。

 

(終点の1つである月島界隈は、今でこそ「古きよきエリア」みたいに思われているけど、もともと軍需工場の町だし。月島は私の生まれ故郷。幼い頃は廃工場で遊んだものじゃった)

 

しかし戦前の映画館が、銀座や浅草だけでなく、東京の東側に多かった点を考えると、かつては現代からは想像しにくい「盛り場」だの「お金を落としてくれる消費者層」の分布図があったのかも。なんで今の私達が昔を想像しにくいかというと、大工場地帯の跡地はその広大な敷地を生かして大公園・大団地群・ショッピングモール等に大変身しており、過去を感じさせないからだと思います。

 

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獅子文六の小説によれば軍需工場の熟練工はかなり収入が多かったそうですよ。

 

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荒川と桜草

 

昭和3年「現代漫画大観 日本巡り」より、「赤羽」の図。

 

「渡し船で荒川を越えると桜草で有名な浮間ヶ原だ。草の中に桜草を取るなと書いた札が立っている。」

 

洋装のモボとモガが、桜草見物しています。あるいは密かに持ち帰ろうとしているかな?

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赤羽〜浮間ヶ原、荒川の改修で流れが変わっているから昭和3年の観光案内とは、様子

がかなり変わっているかも。

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浮間の桜草って、江戸時代から有名だったんですね。

浮間ヶ原の桜草とは?|北区観光ホームページ

しかし荒川周辺の環境変化で、桜草は衰退、と。

 

 

この付近に戸田斎場(民営の斎場火葬場)がありますが、出来た当時(昭和元年)は荒川が今とは違うところを流れていたそうです。

 

板橋にあるのに「戸田」斎場なのはなぜ?(wikiより)

板橋区内にありながら「戸田」と名乗っている理由は、1926年3月29日の設立当時は荒川が葬祭場よりも南側を流れており、葬祭場のある現在の舟渡4丁目が埼玉県戸田町(現在・戸田市)に所属していたためである。その後河川が改修され、1950年板橋区に編入された。戸田変電所が板橋区内にあるのも同じ理由である。

 

観劇にうっとり

私は「観劇で陶酔する」ことに憧れている。

いままでそういう経験が全くないからである。

獅子文六の「写真」(獅子文六全集第11巻)という短編に70歳近くなって観劇の喜びを発見する女教員の話があって、それがとてもイイ。

 

独身で通した女教員は、明治の女書生の生き残りで芝居に全く縁の無かった人。しかし退職後、教え子に誘われて歌舞伎を見に行き、すっかりはまってしまうのだ。役者の1人に激しく心惹かれ、芝居に通い詰め、ブロマイドを買い集め、湯飲みや手ぬぐいも彼のグッズを使う。教え子達は、その様子をあざわらって「お婆ちゃんの執心って、もの凄いものね。今まで、あンまりお慎みが過ぎた反動よ」「今更、気味が悪いわ」等、ヒドいことを言うのである。

 

しかし、女教員の心は、この上なく清らかでハッピーだった。

 

福助の顔、福助の姿、福助の声に接していれば、彼女の心は隅々まで明るく、愉しく、平和でありました。」

 

ああ〜、私もこういう境地になってみたい。

 

 

(↓中野サンプラザの側面に止まっていた、きよしさんのトラック。なんとなく眺めていたら年配女性に声をかけられ、トラックを背景に写真をとるよう頼まれた。)

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慰問あれこれ

 


Christina Aguilera - Candyman (Edit)

 

日本の場合、戦地に慰問というと内海桂子師匠が満州に巡業☆的なイメージですが、アメリカは派手そうですね。

 

クリスティーナ・アギレラ「キャンディマン」は第2次大戦中の設定。メイクが戦時中の看護婦さん募集ポスター(ボストンパブリックライブラリーより)に似てるー。チークくっきり、口紅くっきり。

 

↓なんだか化粧品の広告みたいだけれど、1944年のポスターです。日本でいうと昭和19年!

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しかし「キャンディマン」のビデオに出てくる兵士の皆さん、素朴な風貌の人をそろえているなあ。獅子文六のエッセイに、敗戦後の日本はみんな人相が悪くなり、温厚な表情の人はG・I(アメリカ兵)だけっていうのがありましたけど、そんな感じ?以下エッセイを引用。

温厚や寛容の相は、どこへ行っても見当たらなくなった。たまに、これは、珍しく好人物が歩いていると思うと、テキサスの山奥から出てきたらしいG・Iである。二た目と見られぬパンパンに腕をとられて、ニヤニヤしている顔つきこそ、ここに人ありの感を抱かせる。(昭和34年週刊文春

 

 

【関連話題】慰問といえば、アンドリューシスターズ。アンドリューシスターズ 第二次世界大戦中、慰問で活躍しました。


Andrews Sisters Boogie Woogie Bugle Boy

で、アンドリューシスターズをケイティペリー達がカバーしたもの↓。はじめはモノクロだけど途中でカラフルなショーに切り替わり、舞台の装飾が爆撃機星条旗になります。戦勝国ならではの舞台装飾ですねえ。最後にうつしだされる観客席には、スマホで舞台の撮影をこころみる迷彩服&坊主頭の青年達。


Katy Perry, Keri Hilson & Jennifer Nettles Boogie Woogie Bugle Boy

 

 

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