佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

九段の覗き穴

永井荷風ひとり暮し』(朝日文庫)より、荷風が自分の女にやらせている店に[覗き穴]を作っていたエピソード。

荷風昭和2年に芸者の「関根うた」を身受けして囲い、昭和3年から九段で待合「幾代」を持たせます。そこで[覗き穴]を作ったのでした。

当時、荷風は病気がちの50代、芸者の「関根うた」は22、3歳。

 「幾代」の開業のさなか、荷風さんは小さな柄のついたノコギリを買ってきた。何をするのかと思ったら、客用の部屋の押入れに入ったり出たりしながら「どこに穴をあけようか」と物色するのだ。客が部屋でどんなことをするのか、覗き穴をこしらえるためであった

念のために言っておけば、「幾代」は待合である。待合茶屋の待合。東京花街の貸席業のことであり、公然の秘密で売春が行われる。

荷風さんはうまく穴を開けられたと大喜びし、開業してのち、「今のはつまんなかったですよ」とか、「あの方の席料は負けておいてあげなさい」と申していたそうであるから、覗き穴から何を見たかったのか、言わずと知れたことだ。

この九段エリア(靖国神社の通りの反対側)は、大正から昭和にかけて富士見町芸者街と言われ、待合がひしめいていたそうです。

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待合「幾代」があったあたり。通りを隔てて、靖国神社。西に防衛省

 そういえば、 映画「女は二度生まれる」(昭和36年)も、九段の芸者が主役。靖国神社のシーンがけっこうありましたっけ。たとえば明け方、布団の中*1の会話もこんな感じでした。

ドーン!ドーン!

 

客「なんだ?」

若尾文子「あ、靖国の太鼓。」

客「ここは靖国のすぐそばか。」

若尾文子「毎朝5時には なるんです。」

客「もう5時か。さあてと」

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*1:若尾文子演じる芸者は愛人のパパから「唄ひとつ、三味線ひとつ出来ない」と言われています。宴会で愛嬌を振りまいた後、客と布団の敷いてある部屋に行くのが専門の芸者

大塚の、揺れる芸者

まんが家・杉浦幸雄のエッセイ(「杉浦幸雄のまんが交遊録」)に、大塚の花柳界のエピソードがあったので引用します。

独身時代に、大塚の花柳界の待合遊びの味を、漫画家集団の遊び人どもに輸入したのも村山氏(村山しげるのこと)でした。

それまでは、女郎買いしか知らなかった連中たちです。昔は、1人10円もあると、まず銀座の小料理屋で、刺身か生ウニなんかで一杯やって、下地をつけてから、市内1円均一だから「円タク」と呼ばれていたタクシーを、50銭くらいに値切って大塚へ行きます。待合へあがって芸者をあげて、スチャラカチャンチャンと酒盛りをして、やがて頃合いを見はからって今まで騒いでいた芸者と別室へしりぞきます。 

大塚の待合は国電の線路の近くなので、電車が通る度にゴトゴトと揺れます。その揺れにあわせて、こちらも揺れて…。貨物列車でも通るとその揺れの長いこと。

翌朝、ゆっくり目が覚めると、相方の芸者の給仕で、ノリに卵におみおつけ、といった朝食をとり。そして10円でお釣りがくるくらいだったのです。

現在、大塚の駅前は「星野リゾート」が手がけたホテルや、昭和を模した真新しい(張り子の)飲み屋街などもできています。街を昭和のテーマパークにしているんですね。しかし「星野リゾート」も、“都電の揺れにあわせて、こちらも揺れる”ような仕様のホテルは、つくならいことでしょう(笑)

杉浦幸雄のまんが交遊録

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S字の取っ手みたいな川

江戸川区周辺に詳しくなりたい〜

 

でも川の名前がいっぱいありすぎる。(「新○○川」「旧○○川」とか)。荒ぶる川をなだめた手術跡がややこしくて覚えられない!

 

というわけで、昔の簡単地図を手がかりに、イメージをつかむことにしましたよ。

これは、昭和15年に開催予定だった幻の万博のための交通計画地図。

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昭和12年「万博」冊子 「日本萬國博覧会 交通計画に対する一考察」より

 

右側の水色部分が荒川で、S字の取っ手みたいのが、中川。

現在は、荒川の東にもう一本「新中川」があるんだけど、この地図では存在が感じられない。

新中川(放水路)は戦後に出来たから。

昭和12年、人々の脳内で荒川と中川の位置関係はこういうイメージだったのでしょう。

  

 下は現在の荒川と、中川(グニグニ曲がっている)と新中川 (ぐにぐにと合流してういる)。スカイツリー展望台からこのグニグニが見えた時、「川が曲がってる!曲がってる!」と興奮してしまいましたっけ。

 

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現在の荒川と中川

 

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新中川と、斜めにかかる橋

江戸川区の川に詳しくなりたい〜

 

でも川の名前がいっぱいありすぎる。(「新○○川」「旧○○川」とか)。荒ぶる川をなだめた手術跡がややこしくて覚えられない!

 

とりあええず「東京水路をゆく」という本に、「新中川」のことが書いてあったらからこれを手がかりに少し覚えるぞ!

 

新中川の特徴の1つは、斜めに架かっている橋が多いことです。橋は本来、構造や費用の点から見ても最短距離で川を渡すのが理想ですから、ほとんどの川は河道に対して直角に架けられます。

 しかし、新中川の橋たちは、すでに大きな道路が縦横に走っているところへ、戦後という都内の水路としては遅い時期に工事が進められたからか、既存の道を極力生かす形で橋を架けたため、斜めの橋が多くなったのだと思われます。 

 

地図を見たら、本当にななめだった。

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ななめに架かっている明和橋と今井街道

 

Wikipedia見ると、ななめの橋(この地図の場合は明和橋)が道路と折り合いをつけるの大変だったみたい。

付近には東京都瑞江葬儀所江戸川区春江町)があり、当所へのアクセス道路のひとつとしての役割も兼ね備えた橋でもある。

その後、交通量の増加等による橋の老朽化、幅員が狭く取り付け道路が両岸で急カーブしており、円滑な交通の支障となっているため、江戸川区の新中川橋梁整備計画の第一弾として1992年(平成4年)[2][3]に架け替えられた。

現在の橋は川を斜めに渡河する形で架橋された斜橋で、両岸の取り付け道路となる区道も緩やかなカーブに改善され交通が円滑化された。

 

以下は、同じエリアで新中川がない頃の航空写真。今は明和橋が瑞江葬儀所へのアクセス道路になっているそうだけど、当時は今井街道から瑞江葬儀所(写真中央の樹木が多そうなところ)に1本道が通っているだけ。ここに昭和38年、新中川を通したんだ。すごいね。

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国土地理院 昭和20年代の航空写真

 

朝日新聞社と分離派

今和次郎の「新版 大東京案内」(ちくま学芸文庫)上巻120ページに「数寄屋橋橋畔の朝日新聞が、モダアンな分離派の様式で建築され」とあります。

 

分離派って興味があるけどよくわからない。一番最初に分離派を知ったのは、「帰ってきたウルトラマン」基地のロケ場所にもなった「長沢浄水場」。エリンギ感の強い建物でした。とりあえず、いきなりカーブがあるのが分離派、という認識で生きていきます。以下が朝日新聞社屋の参考画像と説明文です。

日独防共協定の成立 

日本劇場の前に大きなナチスの旗が掲げられていて驚いた。急に世界の渦中にあることを感じた。朝日新聞社が背景で、特に印象的であった。(昭和11年)

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「想い出の東京 師岡宏次写真集」より、「日独防共協定の成立」

こちらを拝見すると、震災復興小公園も分離派なんですって。 

木場と、水上トイレと、アニイ

今和次郎の「新版 大東京案内」(ちくま学芸文庫)上巻155ページに江東区の或るエリアは見渡す限り材木だらけ、というようなことが書かれています。以下引用。

木場とは、現在に於いて、永代橋から洲崎に向かう電車通りの深川八幡前あたりから、洲崎終点までぐらいの左側一帯の地と水面を指すので、その地帯に入って眼に入るものは道路と水路と材木屋ばかり、しかも水路一面には見わたす限り材木が組まれている。

 

この文章が書かれたのは昭和4年頃。「地と水面」という書き方が現代はわかりにくいけど、材木は水面にありましたからね。実際、昭和の航空写真を見たとき、江東区はこわいくらい水路に材木が写っており「おやおや、たくさん材木があるこの広い敷地は、きっと木場公園だな!」と思ったらハズレで、それは同じく江東区猿江恩賜公園(元・貯木場)だった…ということもありました。

 

↓これは「木場」の参考イラスト。木場というと勇み肌のアニキだらけみたいなイメージがあるけど、その他の人々も水上でしっかり生活していたわけですなあ。左の赤丸の中をご覧ください。小さくアニキが描かれています。勇み肌の兄貴連については「屋号のついた肩当てが騎士(ナイト)の盾のように光彩をそえる」と説明されていますね。イラストの右の方では裸ん坊のこどもが放尿しています。

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昭和3年 現代漫画大観

上のイラストで勇み肌の兄貴のしている「屋号のついた肩当て」が気になっていましたが、先日「宇宙人東京に現る」(昭和31年1956)というSF映画を見ていたら、肩当てをしている人たちが一瞬出てきました。ナイトのようには見えませんが、素敵です。

 

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↓この写真は戦前ではなく、昭和47年の木場です。

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「想い出の東京」 師岡宏次写真集より

 

インドア派のための『地形を体感する午後』(5月20日・東京都国分寺)

本屋さんには、タモリの本やスリバチの本等、地形をテーマとした本が並んでいますね!私は地図が読むのが苦手な上、ゆるい傾斜を歩くとすぐ疲れてしまうタイプなので本当に憧れの世界です。

 

そこで、畳の部屋に座っているだけで自動的に地形が体感できる、都合の良い集いを開くことにしました!

なぜ畳の部屋でソレが可能かというと、明治末期〜昭和初期、国分寺の崖線沿いにお金持ち達が地形を生かす気まんまんで別荘をたてており、今回の集い「インドア派のための『地形を体感する午後』」は、そのうちの1つ殿ヶ谷戸庭園(旧岩崎邸)内の和室を借りて行うからです!

 

会場は途中入室退室可です。数分ほど見物したあと帰るもよし、読書・昼寝・園内散策でのんびり過ごしていただくのもOK。ご参加お待ちしてます。

 

日時:平成30年5月20日(日) 13時30分から16時(途中入室退室可)

場所:殿ヶ谷戸庭園「紅葉亭(こうようてい)」公式サイト

読書会という形で予約をとっています。

注意①:会場はデリケートな古い建造物のため、お子様の参加はご遠慮ください。

注意②:園内の起伏が激しいので、散策希望の方は滑りにくい靴でお越しください。

料金:庭園の入園料が150円かかります。

ご予約:不要

 

 

持ち物:ご自分用の飲み物(アルコール不可) 。もし皆さんに見せたい地形関係の本等があったらお持ちください。私も閲覧用に少し持っていきますー。

 

写真上方にちょっと見えるのが、会場の紅葉亭です。

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以下【参考資料】水と緑のひろば71号よりf:id:NARASIGE:20180425204040p:plain

 

国分寺の崖線沿いの別荘の例

日立中央研究所(旧今村邸)

三楽の森(旧前田邸)

はけの森美術館(旧小橋邸)

滄浪泉園(旧波田野邸)

はけの森美術館(旧小橋邸)

実篤公園(旧武者小路邸)

静嘉堂文庫(旧岩崎邸)

など!

 

 

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