昔の写真
ミッシリした着物姿 私の祖母(左)と、祖母の姉。昭和10年頃の写真です。 2人とも、えもんをあんまり抜かない派で、ミッシリ・ムチムチ。着物の柄は、チェックと縞。髪に少しウェーブがありますが、天然パーマです(笑) この姉妹は、 ・えもん抜かない ・…
■細い帯でしばる。1963年9月「太陽」より。記事によると、当時はタクシー最初の1マイルが15セント(54円)、ユタへのまじないの謝礼が20セント。■戦前の沖縄航路(阪神−那覇、鹿児島−那覇など)パンフレットも、細い帯の装いが。
浅草の言問橋に行く用事があったんですけど、付近の神社に「昭和5年 帝都復興記念」と書かれた鳥居がありました。大正12年の関東大震災からようやく復興したよ!と。でも、せっかく復興したーと思ったら、このエリアは昭和20年3月の東京大空襲でたいへんな目…
これは1967年の平凡パンチ、若い男の子に着物をすすめる特集です。「粋→☆☆に着込んだら、スーツとは違った男の魅力が生まれてくる。だから街へ出れば思いがけないロマンスにめぐりあうこともあるわけ」という解説がついていました。 キモノ特集の次のページ…
■昭和初期の掃除機・洗濯機の広告がいっぱい。「浮世離れした服をまとった美女と、最新の電化製品の組み合わせ」は21世紀も同じですね。(薄型テレビと小雪とか)山本夏彦氏が、“戦前には、すでに大抵のモノが出来ていた。今の人は便利なモノは、すべて戦後…
夢二的ヘナヘナ立ちをしてたら跳び蹴りされそうな、【121】東京市王子区の婦人会の皇軍慰問の図。(1941年)。つま先、外向き。ttp://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/bunka/umemoto/data/photo/win121.html戦時下の報道写真 梅本忠男写真集より。230点もの写真が…
とっても優美なんだけれど、貞子以上のモノがうつっていそうな、家具調テレビの数々です。これは1928年(昭和3)アメリカ製。スイッチ入れた時、不鮮明な香椎由宇サンが浮かび上がったら…こわい。
有楽町の無印良品と、隣接するビッカメ(のぼりを立てて大騒ぎ)。両者の芸風が、水と油で、気の毒やら可笑しいやら。画像は半世紀前の酒屋さん。狭い場所に・行き当たりばったりに・様々なフォントの看板を貼っています。ビッカメも、21世紀の日本の駅前も…
避難するときは、裾まくりあげ〜。地震の時だけでなく、日常でも裾まくり。(関東大震災を描いた絵より) おじさんも、まくります。 (国立科学博物館地震資料室より)
毛穴、しみ、をファンデーションで隠そうという番組を見る。夜が提灯だけの時代だったら、そんなに隠す必要もないだろうに。今の日本、ピカピカ照らしすぎ♪陰影礼賛。 (画像はbertha lumのとっても可愛い浮世絵です)さらにみんなで裸眼会(視力0.1以下の人…
90代のおばあさんとお話する。両国の人で、いつもしゃべり方が冴えているんです。飯島愛というかYOUというか、天性の「間」をもっていて。さすがは、両国の人だ(?)…と思っていたんですけど、実は群馬出身であることが判明。両国に嫁ぐまでは、伊勢崎銘仙…
もうすぐ80才という人に、思い出話しを聞く。 『女学校時代の“裁縫競争”では全校一斉にスピードを競いました。下級生は半幅帯、上級生は単衣とか羽織。私は裁縫が非常に苦手で、焦るあまり半幅帯の芯をねじってつけてしまった。半幅帯の素材は、自分達が3才…
和の心に酔いしれろで紹介されていた、東海道53次を大正時代の漫画家さん達がどーんと描いたもの。中に、豊橋のおばさんが自転車に乗っている絵があって、あれ見たことある図だなあ、と思ったら、以前、拙サイトでアップした豊橋の自転車バアサンと作者が同…
昭和19年アサヒグラフ「帝都必勝の防火陣」より。江戸っ子は火消しが得意だからアメリカの空襲なんて全然怖くない♪という記事です。「【火事は江戸の華】と大江戸の昔から火消し戦術に卓越した腕を示している東京の消防は鉄壁のまもりを見せ、皇都を泰山の安…
外国映画で戦中・戦後を描いたモノを見ると、日本のと何か、違う…。戦時下の恋愛を描いていても、平時と同じくらい華があるような気がします。その原因の1つとして、日本みたいに国民服やモンペが登場してないというのもあるのでは?ほら、国民服が出てくる…
これは関東大震災直後の航空写真。左が築地、右が月島です。船がいっぱい通ってますねー大正時代、築地に中央卸売市場はまだ無く、月島は殺風景な新興の埋め立て地。両者の間には橋がかかっていないので、渡し船が出ていました。この時点では月島が1番、海に…
ドクターイーブルの息子、セス・グリーンが子役として出ている「ラジオ・デイズ」(ウッディ・アレン)。以前、セス・グリーンの幼い顔だけ確認して返却し、今回もう一度よく見てみたら、これ、戦時中(ラストが昭和19年の新年)の話しなんですね。気づくの…
■名取洋之助と日本工房〔1931-45〕展-報道写真とグラフィック・デザインの青春時代-7月8日(土)〜9月3日(日) 川崎市市民ミュージアムにて以前もふれましたが、戦時中の対外宣伝用雑誌(とても高級・おしゃれ)の展示です。冬に福島県立美術館で見た時、 「う…
野性的なメイクをしている少女も、肌を露出している少女も、芯の動作や雰囲気がこの画像(「今起きた姿で 妾 買ひにくる」昭和3年)みたいだなー、としみじみ思う今日この頃です。彼女達が1度も見たことのない「寝起きのおメカケさん」とか、「朝湯帰りの姐…
大正生まれのお医者さんの書いたエッセイに、男らしい立ち方というのが出ていました。 男が男性らしさを強調したい時は、肘を「く」の時にまげて、握った拳を脇につける。国技館の額に飾られている歴代の横綱やプロレスラーの写真を見ると、言い合わせたよう…
大きなイヤリングと着物・細〜いウエスト・つま先外向き。1958年の国際見本市ポスターです。 半世紀前の着物って、こういうの多いですよね。でも、着物はなぜかこっち方向(「007は二度死ぬ」方向?)には発展しなかった。現在、雑誌の着物特集の背景は、ほ…
画像はPaul Jacoulet(1902-1960)の、Pecheur de Sawara(1935・昭和10年)。21世紀、このタイプのオヤジは、悲しい模様のポロシャツ・化繊のスラックスを身につけていますが、かつてはピタッとはまる衣裳があった。。。。松ちゃんは、洋服でこの方向を目指し…
ネットリと怪しいお相撲さん。着物をずいぶん深く巻き付けているような気がする…。これくらいの幅を連想します。府中市美術館にて【亜欧堂田善(あおうどう でんぜん)展】2006.3.4ー4.16
「ラスト・エンペラーの弟、波乱の生涯」の再放送を見る。ご兄弟で、ほっそり…。↓これは昭和17年の子供向け雑誌から。フリガナいっぱいだね。
■「栄養と料理」のデジタルアーカイブス。(森茉莉街道をゆくさんで知りました)昭和10年ころは、のんびり・おっとりしていた内容が、戦争末期になると、エライことになっています。「戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る (岩波アクティブ新書)」(←暗い題…
小林聡美さんの『神はサイコロを振らない』第2回を見ました。1996年、消息をたった402便の乗客が突然10年後の2006年に放り出され、「今、肩パッド流行ってませんから」とか言われていた。 ■この事件が物事が急展開する昭和初期に起こったら、たいへんで…
■これは昔の日劇です。現在、有楽町マリオンのあるところ。白亜のゴージャスな建物でしたが、看板だらけになりました♪■NTT荻窪も有名な人が作ったそうですが、もとの様子がわからないようになっています。■これは2006年、小田急線の駅前。
日本でいえば昭和10年頃〜にあたるアメリカの写真が大量にあるサイト。一般人を惜しげなくバンバン撮っている。お金持ちめ。この頃、日本はまだキモノの時代で、東京万博の準備とかしていましたが、こういう雰囲気の写真(ニュースでもなく・芸術写真でもな…
■去年、見ました。メイキングDVDも一応、見た。「ALWAYS 3丁目の夕日」もそうなんですけど、かつての日本の子供は、鼻をたらして・洋装の歴史は浅く・洗練とはほど遠いイメージありますよね。写真美術館でやっている「日本の子ども60年」も、そんな写真が沢…