佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

終戦から10年

オバケダイガクさんの「福岡バナシ2」

昭和20年代のカラー写真を見る夕べでご紹介した福岡空港(板付空港)の写真に反応して、ブログを書いてくださった北野留美さん(人気zine「オバケダイガク」の作者)。 今回も、空港付近の歓楽街の存在について興味深いブログを書いていらっしゃいます! 今…

ナオミのその後を想像する

*1 1924年(大正13年)に「痴人の愛」が発表されてから20年後、日本は敗戦→焼け野原になります。 (20年といえば、「ツインピークス」がちょうど20年くらい前ですね。) 「大正時代」と「敗戦後の日本」って、今のワタシらからみると、まったく別の時代に見…

「第2回 昭和20年代のカラー写真を見る夕べ」終了しました その2

昭和20年代のカラー写真を見る夕べで、↑福岡空港(板付空港)の写真*1を1枚用意していきました。すると来場された北野留美さん(人気zine「オバケダイガク」の作者)からメールを頂戴したので、許可をいただいて転載します。 板付空港付近出身のおばあさま…

「第2回 昭和20年代のカラー写真を見る夕べ」終了しました その1

10月5日(金)「第2回 昭和20年代のカラー写真を見る夕べ」をやりました。戦勝国のヒトたちが撮影したものなので、基本、基地周辺の写真です。 当日、私は風邪で全然声が出なかったため、会場の皆様に写真へのコメント&ツッコミをすっかりお任せしまいまし…

【予告】第2回 昭和20年代のカラー写真を見る夕べ

■昨年の8月に、敗戦間もない頃のカラー写真を見る夕べというのをしました。日本が焼け野原から復興しようとしている時代、鮮明すぎるカラー写真をどっさり撮った (戦勝国の )ヒトたちがいました。そんな写真のスライドショーを、眺めてみましょう…という会…

おなじ名前

*1 基地の街のお年寄りから聞いた話。 その街には、丸の内の高級ホテルと同じ名前のホテルがありますが、その由来など。 基地のそばにダンスホールを作った人がいた。その人はダンスホールのすぐ隣にホテルをたてて大成功した。ダンスのあとは、ホテルにいく…

エフェクト

*1 □芸人マキタスポーツが、ポッドキャスト*2で、「今のミュージシャンは“ランド”を作らないで等身大の暮しを歌う」と言っていたのが、すごく記憶に残っています。 今のミュージシャンが“ランド”を作らないというのは、「元春ランド」(東京の風景を切り取っ…

踊る若人

「マルホランド・ドライブ」のダンスシーンみたいなカラー写真。(60年前) 脳天気に遊んでいるように見える若い男女ですが、これは敗戦から数年後の基地の街の光景。男性は戦場(朝鮮戦争1950〜1953)に行く恐怖を忘れるために踊っている可能性も…(関連話…

ターバンのお洒落 帝国ホテル

敗戦直後、こういうターバンを巻くのってシラミを散らせないようにする為というケースもあったようです。*1有楽町・数寄屋橋のパン○ン達が、髪をつかんでのキャットファイトになった場合、髪つかまれないようにターバンを巻いて戦いにのぞんだとか。(喧嘩に…

テレビ台風

心の中で、テレビ台(AVラック?)と名付けている建物があります。ひらたくて横に長いような・・・。 ■たとえば現在のホテル西洋銀座の場所にあった、テアトル東京(1955〜1981)。 ■SFじみた八王子駅(1953年頃)【拡大画像】。 別の角度からはこちら ■JR鉄…

グランパと、Mileage Sign

私はあまり英語が読めないので、flickrなどで敗戦後の写真を検索するときは「grandpa」「AB(エアベース)」というタグを手がかりにしてます。 「grandpa」「AB」で追っていくと、日本人が撮影しないタイプの日本の光景(主に米軍基地周辺)に、どかんと行き…

豪華な遊園地が競輪場に変身するケース

戦前に出来た2つの遊園地が、敗戦後、競輪場になりました。【遊園地→競輪場】とは、かなり大胆な変身ですよね。 1つは、調布の「京王閣」。そして、もう1つは東京と横浜の中間にあった「花月園」。いずれも豪華な遊園地でしたが、敗戦後間も無く競輪場にな…

「古き良き」でコーティング

■近所のT市では、不動産屋のお年寄りの英語の発音が、すごくアメリカ風なのだそうです。(なぜ不動産屋のお年寄りが英語を話せるのかという経緯は、こちらをご覧ください。) 敗戦後、基地に依存した大歓楽街として発展したT市。 先日、初老のバイリンガル男…

こまったひと

このブログに[終戦から10年]というカテゴリーをはじめて作ったのは、2006年です。[終戦から10年]カテゴリーを作ったせいか、いろいろな出来事に出会ったりもしました。 数年前ある場所で、ささいなことで怒りまくる初老の西洋人男性を見かけました。かりにA…

キャッツアイとメタボリズム展

■六本木ヒルズのメタボリズム展に行きました。 2回、行きました。 副題は「復興の夢とビジョン」。EXPO'70に代表されるような昭和の夢が溢れて大変なことになっていました。 これから行くという方に提案です。それは25年という物差しを頭の隅において置くこ…

東劇で歌舞伎をやっていた時代

現在、歌舞伎座が工事中なので、かわりに新橋演舞場を使っているそうですね。同様のことが、敗戦間もない頃にもあったようです(つまり、歌舞伎座が焼けてしまったので、他の場所を使っていた。)それは、東銀座の「東劇」でした↓ 昭和25年(1950年)、野坂…

はじめての宝塚/『あんみつ姫』と浅草の国際劇場

先日、宝塚をはじめて見ました。1人で突然行ったのですが、劇場で知り合いの2人にバッタリ。そのうちのお1人は漫画「ZUCCA×ZUCA」のモデル(ネタ元?)になったとか!舞台がはじまる前に、瞳きらきらの2人から鑑賞のイロハを教えていただきました。ありがた…

新築ソックリさん

お友達に「1970年代に出来たビルのふりをしているが、実は戦前に建てられたビル=数寄屋橋のモザイク阪急」の話をしていたら、「新築ソックリさん」という概念…を教えていただきました。 かつてナンシー関が「うしろ髪の長い髪型にジャンボ(尾崎)カットとい…

日比谷の無印カフェの場所には…

■現在、日比谷の宝塚劇場(アーニーパイルシアター)向かいにあるCafe&MealMUJI日比谷の場所には、ちょうど、進駐軍のカマボコ兵舎がありました。 *1 ■で、そんなカマボコ型建造物内部のバリエーションをご紹介します。 1.カマボコの中が、床屋…

数寄屋橋阪急(マツダビル)

左の大きなビルは数寄屋橋阪急(極東空軍宿舎*1)。右手は現在のマリオン。 【関連話題】 数寄屋橋阪急に「泊まった」人の話 拡大画像 今の阪急と、かつてのビルの姿をわかりやすく比較しているブログはこちら! *1:参考/「MPのジープから見た占領下の東京」

末端から、コンニチハ

■お洒落な人は、毛先や、爪、靴など先端まで注意がゆきとどいているそうですねー ヒトの生命力も、やはり末端にあらわれがち。例えば、“一高生の紅い独活のような脚”(森茉莉)とかね。 末端って、あなどれません…。 戦時中、ある航空技師*1はアメリカの一般…

「カラー写真を見る夕べ」

「昭和20年代のカラー写真を見る夕べ」 ぜひお越しください!会場が広いので特に予約はいりません。 ■8月17日(水)19時〜20時30分(18時45分開場) ■場所は京橋区民館3階 6号室(入り口に、「着物部屋」という表示が出ていると思います。) 銀座線京橋駅 徒歩…

空から父が降ってくる

■「母たちの島」(ジュディ・バドニッツ 岸本 佐知子訳)を読みました。 ある島に、敵国の兵士たちがパラシュートでいっせいに降りてきて、島の女に恋をします。彼らは、来たときと同様、急に去っていく。島の女の腹は大きくなり、母親とは似ていない子ども…

基地の町と、ヨガ

いま、ヨガはとってもお洒落な印象ですが、昭和の時代のヨガというとこの方が有名だったようです。 著者は大変な虚弱体質でしたが、ヨガをすることで苦しみから解放された人。彼女が、“ヨガの人”になる前は、小説家でした。昭和28年の芥川賞候補にもなってい…

平たい顔族の熱狂

1966年・1967年というのは、ハーフのモデル等が怒濤のごとくCMに起用されるようになった、ちょうど節目の時期。 敗戦後、占領下の日本に生まれた多くの赤ちゃん達は、1966年から1967年にかけて、彫りの深ーい、手足の長ーい少年少女に成長し、資生堂のCMなど…

空いてる車両に乗る、裏ワザ(女性限定)

かつては連合軍専用車両があり、日本人車両との差が極端でした。これは超満員の日本人車両と、ゆったり快適な連合軍専用車両の図。「どちらも人である」という皮肉な文字が入っています。(この本から) この、空いていて快適そうな車両に日本人は乗れません…

青春怪談

Romantic au go! go!さんのつぶやきで知った「青春怪談」(獅子文六 1955)を、観に行きました! 敗戦から9年目に新聞に連載され、翌年、映画化された作品です。 そんな時期にピカピカの電化製品が溢れかえっている宇津井健のお家(大きな病院の息子)は、当…

スクールバス 外から見るか?内から見るか?

敗戦から5年の昭和25年(1950)の「装苑」に、アメリカン・スクールのファッションを参考にしようという特集がありました。 敗戦国の国民にとって、戦勝国の少年少女の何気ない装いがどれだけ輝いて見えたかが、痛いほどわかる特集です。 この雑誌には同時に…

死とお洒落CM

10年ほど前、近所の豪邸に住む高齢の女性と知り合う機会がありました。 かつて“お店”をやっていたというだけあって、超しっかり者でした。腰が痛い、痛いと言いつつ、シャルル・ジョルダンのハイヒールを履いていた。頻繁にエステに通っていて顔のシワは、ゼ…

不安とキモノ その2

「きもののすべて」(昭和40年)は、敗戦前後の空白の10年に着物の知識をすっかり失ってしまった日本女性、着物に不安を抱く昭和40年の母娘に向けた本です。挿絵はいわさきちひろ。 しかし大正7年生のいわさきちひろさんは、シロウトさん風と、クロウトさん…

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