■終戦直後に作られた「風の中の牝鶏」(昭和23年)は、小津安二郎作品の中で唯一のバイオレンスシーンがあるというので見てみました。
これがひどい。骨折とか死亡とかもありえるバイオレンス。田中絹代が夫と言い合ううちにあやまって2階から転落するのですが、夫は彼女を全然助けないのです。ヒトとしてありえません。
ケガをした田中絹代が貞子のように階段を這い上がる姿は、敗戦国の“メタファーっすね”(ぶっさん)なのかもしれないけど、それにしても〜。
■この映画と、昭和15年の幻の万博(万博ネタバックナンバーはこちら)は直接の関係はないのですが、ちょっとだけ関係あり。題して、“停留所物語”
とつぜんですが、地図の赤丸は私の卒業した小学校です。銀座方面から万博会場へ向かうメインの道路に面していて、お客さんを満載した市電が賑やかに行き交う予定でした。完成したばかりのハネ橋を渡り、万博会場はもう目の前。お客さんの興奮が高まるポイントと思われます。
実はその母校がこの本によれば、「風の中の牝鶏」に出ているのです。
ストーリーは《敗戦、厳しいインフレの時代。夫の帰還を待つ妻が、幼い息子の入院費用をはらうために体を売る。》というもので、その、“売る”ためのヒミツの宿が、母校の裏手あたりにある設定らしい。
かたい奥さん役の田中絹代が、都電に乗ってやってきて(地図の赤い線)、母校の前の停留所で降りるわけです。
しかし、ああ。その停留所は…
晴海で開催される万博会場へ向かうお客さんで超満員の市電が、通過するはずだったのです。そして私の先輩達が、校舎からお客さん達に小さな手をふるはずだったのです、たぶん。
まさか、敗戦後、かたい奥さんが、勇気をふりしぼって“売り”にくるようなハメなるとは。
戦争をはさみ、同じ停留所はえらく違った場所になりました。
少なくとも、万博を計画している頃の人にとっては想定外だったことでしょう。(地図は当時の万博協会の出している冊子に私が赤い線を上書きしました。)