(11)《鏡子の家/学校の屋上に高射砲》

前川國男サンによる晴海高層アパートだの国際見本市会場だのが出来る前、「幻の東京万博」予定地だった「晴海」はどうしていたかというと………軍関係に使われていたようです。

■昭和初期、一面の草原だった埋め立て地・晴海にもポツンと小学校が→○ありました。当時は3階建て・白亜の鉄筋校舎。その学校に1942年(昭17)頃から防空部隊が駐屯するようになり、やがて京浜間防空司令部が置かれます。屋上には高射砲や仮兵舎が設けられました。

校舎は爆撃の目標と化し、児童は全員よそへ移転。

そして1945年(昭20)8月15日終戦。9月2日、校舎は進駐軍に接収されます。この学校はずうっと接収されていて、戻ってきたのは1954年(昭和29)3月でした。GHQは学校というより“陸軍の施設として”占領していたとか。

晴海自体も陸軍の占用地だった地区は日本人立ち入り禁止に。(参考「中央区諸学校沿革概要」)

■ところで、三島由紀夫の「鏡子の家は、小学校が返還された年、つまり「1954年の4月のはじめ」の晴海からスタートします。鏡子のグループが晴海でならず者とケンカしている頃、この学校は久しぶりにマイ校舎で始業式を行っていたのでしょうか…?

■画像はネットで拾った宝塚劇場です。こちらの返還はさらに1年遅く、1955年(昭和30年1月)。占領軍専用のアーニー・パイル劇場が、東京宝塚劇場に戻りました。