縫ったけど着ない銘仙・総理大臣

もうすぐ80才という人に、思い出話しを聞く。

『女学校時代の“裁縫競争”では全校一斉にスピードを競いました。下級生は半幅帯、上級生は単衣とか羽織。

私は裁縫が非常に苦手で、焦るあまり半幅帯の芯をねじってつけてしまった。半幅帯の素材は、自分達が3才の時のお祝いのものを利用しました。まだモノがある時代の品なので、すごく質のいい布でした。

授業で銘仙の単衣を縫ったけれど、当時、通学は洋服・家でも洋服。縫ったものを着ることは全くありませんでした。

そのうち教材用の反物も手に入りにくくなり、戦争に突入。

終戦。

終戦から9年たった昭和29年(1954)に女の子出産。
(今のABE総理と同じ年頃のお子さんですな。)

子供が生まれた年(1954)には、日本橋高島屋にモノが全然なかったんです。
なのに!3才のお祝い(1957)の時にはモノが増え始め、
7才のお祝いの時(1961)には、もう商品がどっとあふれていました。

■この、物量の変化がすごいな〜。高度経済成長〜。

わずかな期間で、【質のいい半幅帯→戦争→がらんとしたデパート→大量消費】と変化するのだから。

■関係ないけど画像は70年代初頭の、しせいどうモデル大集合の巻です。はーふ率がすごく高い。(今のTSUBAKIシャンプーや、マキアージュのCFと比較すると)

70年代、さらにモノは増加しつづけ、総理世代の人が色気づく頃には、占領下に生まれた赤ちゃん達が、彫りの深い顔と・長ーーい手足を持つ若者に成長。コマーシャルに彼らがどっと起用され、ABE総理総理世代のお小遣いをしぼりとる、と。