ブランドは、虚無へのクモツ


1966年(昭和41)の毎日グラフを見ていたら、スバル(富士重工)が広告を出していて、その文章にちょっとビックリしました♪

第2次大戦をご存じのみなさまなら、隼・疾風・天竜などのすぐれた戦闘機、爆撃機をご記憶でしょう。すでに大正6年創業以来、航空機づくりに全力を傾けていた、中島飛行機が、私達の前身です。


戦闘機に、爆撃機……。よくわからないけれど、今なら普通の雑誌にこういう広告を出さないのでは?


でも毎日グラフを買う1966年の大人の中には、勤労動員で中島飛行機の工場に……(例/三島由紀夫)、という人もいるだろうから、こんな広告がよかったのかな。






(この画像は、新宿西口のスバルビル地下にある「新宿の目」です。)




三島由紀夫仮面の告白」の主人公も、「横切るだけで30分かかる」N飛行機工場に動員されています。

この大工場は資金の回収を考えない神秘的な生産費の上にうちたてられ、巨大な虚無へ捧げられていた。(中略)


私はこんなにふしぎな工場を見たことがない。近代的な科学の技術、近代的な経営法、多くのすぐれた頭脳の精密な合理的な思惟、それらが挙げて、一つのもの、すばわち「死」へささげられているのであった。

■「巨大な虚無へ捧げられていた」(?)中島飛行機は、敗戦後、富士重工と富士精密に分かれ、富士精密→プリンス自動車日産自動車と名前が変わったそうです。*1

*1:中島飛行機物語より