死の恐怖と、散財

*1


基地の町で飲食店をしていたお年寄りから聞いた話です。

朝鮮戦争(昭和25年〜)の頃には、米兵相手に、濡れ手に粟でずいぶん儲けをさせてもらいました。1ドル360円の時代だったし。


米兵は、ずっと戦地(朝鮮)にやっておくと精神的におかしくなっちゃうんだよね。だから、交代で戦争に行ってました。


朝鮮に行っているやつらと、日本の基地に待機しているやつらが順番になっていたわけです。


朝鮮から日本の基地に帰ってきた米兵は、恐怖でボケて、精神的に変になっているのもいました。そういうのは「ああ、こいつボケてるな」と、見てすぐわかりました。会計の時、日本人がごまかしても、気づきませんでした。彼らは戦地にいっている間の給料と危険手当がプールされているから、札束なんて財布に入りきらないくらい持っていたのです。札束をクリップで挟んでポケットに直接いれてた。


また、(日本の基地から)朝鮮戦争にこれから行くという兵士も、行くのが怖いので、ヤケっぱちになって金を使いまくりました。19歳20歳の、田舎から出てきたような奴らです。もう生きて帰ってこれないかもしれないので、酒を飲み、気に入りのパン◯ン(米兵相手の売○婦)に持っている金を全部やってしまいました。そういうパン◯ンが、私の所に来て「ねえ。昨日、あたし、もらっちゃったよ」と報告してましたね。

以下、Korean Warの参考画像


昭和25年、朝鮮戦争の頃の日本のバー。*2


flickrから



マリリン・モンローの慰問

広告を非表示にする