■1955年頃(敗戦から10年)、都心のお洒落命のOLさんだった方に、夏(冷房のない時代)のストキングについて聞いてみました。
シルクのストッキングだったから、そんなには、暑くなかったような気がします。ただ伝線するんですよね。伝線をかがる店が今の「駅地下(エチカ)」みたいな感じで、地下鉄にありました。「1本いくら」という感じで、なおすのです。
私は、職場と家がすごく近かったけれど、ハイヒールなので、都電で通っていました。
ハイヒールだから歩かない……んですね。戦後間もないファッション誌には、“敗戦から立ち直るためには、動きにくいキモノを廃止し、洋装に切り替えましょうッ!”みたいな力強い記事があったけど、洋装も別の意味で動きにくい☆という……。ちなみにその頃、ハイヒールで過ごした女性の中には、20年後の1970年代に、日本の外反母趾第1期生になった人達(id:NARASIGE:20090429)もいたようです。
■もう1コ。
1950年頃(敗戦から5年)、東京郊外の郵便局に勤めていた女性に聞きました。敗戦後は、上記の1955年と1950年の5年差や、都心と郊外でも、けっこう違いが大きそう。
ストッキングはその頃、売っていませんでした。夏はソックスをはいて、あんまり踵の高くないクツをはいていました。
冬は、少し厚い黒いようなストッキングをモモのところで留めて履いていました。女学生の頃はもんぺの下にピンクの股引をはいていました。
でも、自宅が店の人は、大体足袋でしたねー