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死とお洒落CM  その1


■10年ほど前、近所の豪邸に住む高齢の女性と知り合う機会がありました。


かつて“お店”をやっていたというだけあって、超しっかり者でした。腰が痛い、痛いと言いつつ、シャルルジョルダンのハイヒールを履いていた。頻繁にエステに通っていて顔のシワは、ゼロ・・・・


自分の髪を「お髪」と言い、「父に、送っていただいたの・・・」みたいな、微妙〜な丁寧語を使う人でした。*1


彼女は、敗戦間もない頃、隣のT市(基地の歓楽街として発展した街)のダンスホールで働いていたそうです。近所の人からは不良と呼ばれたけれど、良いシューズをはくと永久に踊れるような気がしたとのこと。


その頃、私は敗戦直後のことをよく知らなかったので、ダンスホールって、「Shall we ダンス?」のお教室みたいなものかな、と思い


「その街には、アメリカ人が沢山いたんですってね。」と何気なく聞きました。



すると彼女は


「さあ、そんな人達、いたかしらねえ……?」



と言ったのです。


もし、この時、彼女が「ええ、アメリカ人がずいぶん沢山いたわよ、基地があったから」とサラッと答えていれば、私は、「へえ、そうですかー」と聞き流していたと思います。


■しかし、「ん、何か変だな?」と思ってアンテナを立てた私は、その後、彼女だけでなく、T市全体が「さあ、そんな人達、いたかしらねえ……?」精神で、きっちりコーティングされていることに気づかされるハメになったのでした。



(土地のオジイサン達は、「T基地の格納庫でも一つ残して後世に伝えるべきだ・基地のお陰で潤った人達はT市の過去を隠しすぎー!」と憤慨していますが・・・。)



■さて、敗戦直後のT市で育った或る少年(昭和11年 釜山生まれ)は、大人になるとシセイドウで最強に美しいCMを手がけるようになります。

そして1973年に、30代で首を吊ります・・・(続く)



*1:森茉莉「ボッチチェリの扉」に出てくる面妖な「絵美矢夫人」系の丁寧語。未亡人の「絵美矢夫人」はGIと、パン○ンを下宿させて生活費を得ている設定。「絵美矢夫人」自身も、パン○ンから将校を紹介してもらおうとしていた。