空いてる車両に乗る、裏ワザ(女性限定)

かつては連合軍専用車両があり、日本人車両との差が極端でした。これは超満員の日本人車両と、ゆったり快適な連合軍専用車両の図。「どちらも人である」という皮肉な文字が入っています。(この本から


この、空いていて快適そうな車両に日本人は乗れませんが、ある種の女性(パン○ン)は進駐軍の“ツレ”になって乗ることが出来たようです。

「昭和・あの時・あの人」より


空襲で東京の乗り物の多くが被災した。車両数は減少し、ラッシュアワーの混雑ぶりは並大抵のものでは無い。庶民はこれを「国電ではなく酷電」と呼んだ。しかも窓ガラスは破れ、シートの布は所々切り取られ、暖房のない冬は一入惨めだった。そのうえ、隅のほうに腰掛けると、シラミが付いてくるし、スリにも狙われるという全く物騒な時代だった。


それにひきくらべて、米軍専用車両は清潔で、いつもがら空きだった。日本人はオフリミット。


倍額を支払えば、日本人の使用も許可になった頃、私は大切なカメラを守るため、何回か乗ってみたが、けっして居心地はよくない。そこには先住者のように進駐軍兵士と戯れている女性の、冷たい目があったからでもあろう。若い女車掌さんたちは、どんな気持ちで勤務していたことか。

実際に、当時の様子を見た人のサイトから


あの当時、国鉄中央線の電車最後尾の一両は「進駐軍」専用で、混み合った他の車輌をよそに、米兵とオンリー(米兵相手の日本女性)が悠々と座っていた。しかし、当時、それは、当たり前の情景として受け入れていた。


参考画像 「昭和22年・給料生活者達は休日になると食糧を買い出しに出かけた」


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「妖しの民と生まれきて」より。


朝、目が醒めて、その日に食べるものがない、食べものを買う金もない、だいいち金があったとしても近所に食料を売っている店など一軒もない、という状況を今の若い人たちは、どのように想像されるだろうか。(中略)


やっと省線に辿り着いて席をとって眠りかけると、GI(占領軍の米兵)が数人、パン助嬢同伴で乗り込んできて、拳銃とナイフで威嚇して日本人は全員席を立たされる。そうして一両全車のシートを彼等だけで独占して、女たちといちゃつきながらカナディアン・クラブのラッパ飲みを始める。それでも私たちは、彼らが中途で投げ捨てたキャメルやラッキー・ストライクの吸い殻を争って拾おうとするのであった。