読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

お嬢様と、ビール瓶と、デパートと。

下町の老舗商店のお嬢様(現在、70歳代)から聞いた、敗戦間もない頃の話。その人のお父さんは議員さんで、その土地の名家です。

子どもの頃、米軍の大きな船が、近所のスミダ川にずっと停泊していました。1年とか2年とか、そういう単位で船がずっといたのです。船を兵隊の宿泊施設として使っていたみたい。東京は焼け野原でホテルも限られているからだと思います。私の家の周囲も全部、空襲で焼けてしまいました。


川には、米兵の捨てるビール瓶が沢山落ちていて、それを拾って、洗って、ラベルをはり、お酢(材料がない時代なので、質のよくないもの)をつめて、日本橋のデパートに卸していました。日本橋のデパートとは昔から商売のつきあいがあったのです。


びんにラベルを貼ったり、中身を詰めたりするのは、一家総出でやりました。家内制手工業です。


他の80歳代の女性(この人も、お嬢様育ち)から聞いた日本橋のデパートの話に、以下の、THE高度経済成長!!なエピソードがあります。参考まで。

娘が生まれた年(昭和29年/1954)には、日本橋高島屋にモノが全然なかったんです。なのに!3才のお祝い(昭和32年/1957)の時にはモノが増え始め、7才のお祝いの時(昭和36年/1961)には、もう商品がどっとあふれていました。



イメージ画像。米兵の捨てたビールの缶でおもちゃの自動車を作る人々。