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豪華な遊園地が→競輪場へ転身


戦前に出来た2つの遊園地が、敗戦後、競輪場になりました。


1つは、調布の「京王閣


そして、もう1つは東京と横浜の中間にあった「花月園」。新橋の料亭の経営者が贅を尽くして作った遊園地で、「痴人の愛(大正13年)」では、「ナオミ」が出没しそうな場所として花月園の名が挙げられています。


■まず1つ目の京王閣→□について。


調布飛行場から約2キロの距離にある京王閣は敗戦後、競輪場になるまでの期間、「RAA」(特殊慰安施設協会)の“施設”として利用されていました。(そのいきさつは、こちらのブログが詳しいです)
RAAは、敗戦後、まずは「飛行場の近く」と「京浜地区」の建物を接収し、女性を集めた“施設”を作ったようです。←進駐軍は京浜地区を通って東京に入ってくると予想されていたため。


京王閣は、遊園施設としてはメリーゴーランドがあった程度で、中心の施設は京王閣の建物でした*1。戦前の京王閣の大浴場や大広間のカラー写真をネットに何枚もあげてる方がいらっしゃいますが、もぅ……すごくゴージャスです。





イメージ画像その1 銀座の標識。調布、府中、立川、入間など飛行場や通信施設のある場所までの距離が書かれています。



イメージ画像その2。敗戦の年の東京の光景です*2


■一方、横浜と東京の中間にあった花月園は、ダンスホールに加えて、園内にホテルが5つと瀟洒な貸別荘も存在したとのこと。「痴人の愛」の譲治は、ダンス好きの「ナオミ」が銀座のダンスホールで知り合った「毛唐」と「京浜間を往復」して遊ぶことを心配しています。市役所が出している「花月園」の本を読むと、「児童本位の遊園地」「児童本位の遊園地」という言葉が繰り返されるのが、とても印象的です。なぜそこまで繰り返す?
↓これはその本に出ていた戦後の花月園の写真。