佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

ナオミのその後を想像する

*1


1924年(大正13年)に「痴人の愛」が発表されてから20年後、日本は敗戦→焼け野原になります。


(20年といえば、「ツインピークス」がちょうど20年くらい前ですね。)


「大正時代」と「敗戦後の日本」って、今のワタシらからみると、まったく別の時代に見えがちです。
だいたい、元号も違うし。服装も違うし。
でも実は意外と近かったりするんですよね。


■“ナオミ的な人”が大正末期に20代前半だったとすると、敗戦時には40代半ばになっているはず。


もし彼女が戦時下を生き延びていたら、戦後はどんな生活を送ったのか。


痴人の愛」は、「ナオミ」がダンスと英語が得意な娘(23歳)に成長したところで終わっています。西洋人に愛嬌をふりまきつつ英語を「ぺらぺらとまくし立てる」ナオミに、譲治さんもタジタジでしたっけ。


■そんな大正末期から、20年。
敗戦後の日本では、大正時代に身につけた「ダンス」が威力を発揮したのでは。


ナオミは、西洋風の贅沢が大好きな娘でした。
焼け野原の超貧しい日本で、西洋の贅沢を享受するために、ナオミはどんな行動をとればよかったでしょうか。


たとえば‥‥


ナオミ自身は現役で踊らなくても、ダンスホールの運営にかかわるとか‥?


(占領下の日本には、日本各地の基地周辺にアメリカ人に大金を落とさせる歓楽街が沢山ありました。)



【参考】これは1952年(昭和27年)の基地の街のお店*2
ウソみたいですけど、日本です。
痴人の愛」が発表されてから、わずか20数年後の日本の風景です。




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*1:痴人の愛」文芸名作漫画 池部釣 昭和3年

*2:ttp://www.berettaconsulting.com/barbarossa/Pater%20Scans/Japan_1952-53.html

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