優等生がポン引きに
久生十蘭の「母子像」(1954・昭和29)は、朝鮮戦争時の厚木基地が舞台。純真な中学生が、なぜか米兵相手にポン引きを繰り返すのです。
少年はサイパン出身の孤児、少年の母(行き別れ)は、サイパンの「南洋興発会社」に勤務していました。
この母親は、とても残酷な美人として描かれています。どのくらい残酷かは、ぜひ青空文庫で読んでみてください。
「東京女子大を出た才媛で、会社のデパートやクラブで働いている女子職員の監督でしたが、その後軍の嘱託になって、「水月」という将校慰安所を一人で切りまわしていました。非常な美人で……すこし美しすぎるので、女性間の評判はよくなかったようですが、島ではクィーン的な存在でした」
「慰安所の生活というと、これはもう猥雑なものなのでしょうが本人はそういう環境で生長期をすごしたのですね」「いや、そうじゃないのです。いまもいいましたように、すこし美しすぎるので、なにかと気が散って、子供なんか見ていられないいそがしいひとなので、独領時代からいるカナカ人の宣教師に預けっぱなしにしてありました」
とにかく冷たい母親ですが、少年は母を愛しています。
戦中も、戦後も、愛し続けます。それが切ない。
「アメリカ」を使わずに会話する人たち
敗戦後、孤児になった少年は、ほかの戦災孤児といっしょにハワイに移されます。(そう、少年は英語を使えるのです。)
以下は、厚木基地で「ポン引きまがい」の行為を繰り返す少年を、担任が叱るセリフ。米兵がらみで叱っているのに、「アメリカ」「米兵」を一切使ってない点に注目してください。
お前は、毎土曜日の午後、朝鮮から輸送機でつくひとを、タクシーで東京へ連れていったアルバイトとしては金になるのだろうが、お前の英語が、そんな下劣な仕事に使われていると思うと、先生は情けなくなる
「朝鮮から輸送機でつくひと」って!!!これまた、ボンヤリとした言い方です!!!
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取り調べ中の警官も「アメリカ」を使いません。
「朝鮮帰りの連中を東京へ送りこむ……ポン引そっくりのことをしていますわ。」といった具合なんですよ。
母親の"職業"とは
厚木基地周辺の粗野なタクシー運転手でさえ、「アメリカ」を使いません。かわりに「おめえの送りこんだやつ」と言うのです。
十月の第一土曜の夜だった。フィンカムの近くの、運転手のたまりになっている飲み屋へ車をたのみに行くと、顔馴染の運転手がこんなことをいった。
「あそこのマダムは、おめえのおふくろなんだろう。おめえはたいした孝行者なんだな。だがな坊や、おめえが送りこんだやつとおめえのおふくろが、どんなことをしているか、知ってるのか」
太郎がだまっていると、その運転手は、
「知らなかったら、教えてやろうか。こんな風にするんだぜ」
といって、仲間の一人を抱いて、相手の足に足をからませて、汚ない真似をしてみせた。
余談ですが、ここで出てくる「フィンカム」という単語。「フィンカム」といえば立川基地というイメージですが、この小説の舞台は厚木キャンプなんですよね。以下は参考画像。立川基地のフィンカムゲートそばにあるホテルの広告。写真には女性だけがうつっています…。Flickrより
以前、久生十蘭『魔都』を読んでみたのですが、あまり入り込めず、途中で読むのをやめてしまいました。しかし、敗戦後の「母子像」(1954・昭和29)は、ギューッと集中して読むことができました。私が興味を持っている時代(朝鮮戦争の頃)が舞台だからかもしれません。
もし私と同じように『魔都』でギブアップした人がいたら、ためしに「母子像」を読んでみてほしいです!
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