『武蔵野夫人』を読んだ。
占領下に発表された小説。
舞台となる場所は、“多磨地区は軍都だったッ”的な本でおなじみのエリア。なので、敗戦後は接収されてる場所もあるだろうに、進駐軍はほとんど出てこない。
唯一の例外は、
“近所の飛行場(調布飛行場)に進駐軍が来るから(自害用に)青酸カリ持っとく?”
みたいな会話。
しかし外国文学を学んだ設定の登場人物は、“自分は、米兵の礼節を信じているから☆”と青酸カリの件を一笑に付す。こいいう肯定的な表現はOKなのですな。
駅前にパンパンがいるシーンも「パンパンとその客」とだけあって、「客」がどういう人なのか一切書いてない。
そのほか、『武蔵野夫人』では
「街道には外国の車がひっきりなしに走っていた」
「飛行場の将校集合所」
「碧の濃い秋空にはどこを飛ぶのか飛行機の爆音に充ち」
と、占領に関することは、すべてボンヤリした書き方。当時の読者はこれで十分すぎるほど理解できただろうけど、後世の読者にはわかりずらい!
(そうういえば久生十蘭の『母子像』も、厚木基地の米兵を「毎土曜日の午後、朝鮮から輸送機でつくひと」と、めちゃくちゃ曖昧にしていたっけ)
小説の中では、ぼかされているアレコレだが、銀座の標識には飛行場の場所としてバッチリ明記されている。武蔵野夫人のすぐそばの調布飛行場をはじめとして、府中、立川、入間など飛行場や通信施設のある場所までの距離が一目瞭然。flickrより