今和次郎の「新版 大東京案内」(ちくま学芸文庫)上巻155ページに
江東区の或るエリアは、
見渡す限り水路に浮かぶ材木と材木屋ばかり・・・、というようなことが書かれている。
そのエリアは、当時(関東大震災の後)の感覚で言うと
電車通りの「深川八幡前あたりから洲崎終点までぐらいの左側一帯の地と水面」のことだそうです。「地と水面」という書き方が現代はわかりにくいけど、材木は水面にあるからね。
実際、昭和30年代の航空写真を見たとき、江東区はこわいくらい水路にびっしり材木が写っており「おやおや、たくさん材木があるこの広い敷地は、きっと木場公園だな」と思ったらハズレで、それは同じく江東区の猿江恩賜公園(元・貯木場)だったということもありました。
以下は「木場」の参考イラスト。木場というと勇み肌のアニキだらけみたいなイメージがあるけど、その他の人々も水上でしっかり生活していたわけですなあ。
イラストの右の方では裸ん坊のこどもが放尿していますね。