佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

レジ袋がなかった時代

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レジ袋がなかった時代の買い物スタイル

かつて、レジ袋も、折り畳みエコバッグも存在しませんでした。どうやって買い物をしていたのでしょう?昔の買い物姿をご紹介します。

 

袋に入れず「しばる」

「この辺に 居るのか巡査 葱をさげ」。レジ袋からネギがはみ出すのだけは嫌がる人がいますが、このようにネギのみを束ねてしまえば、逆にかっこいい。この巡査、シンプルで美味しい鍋を食べてそう。(昭和3年 宮尾しげを「現代漫画大観」)f:id:NARASIGE:20200703065116j:plain

 「ベッタラを 不気味に下げて 家へつき」。ベッタラって、けっこうな重量になりそうですが、まあ男性だし平気でしょう。(昭和3年 宮尾しげを「現代漫画大観」)

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1972年の香港に、大根をしばって持つおばあさん発見!

PICT0022 | Hong Kong Market, July,1972 | m20wc51 | Flickr

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「しばる」と「風呂敷」の合わせ技

「しばった大根」と「風呂敷」のあわせ技です。お釣りを忘れて、愉快なサザエさん。 荷物が複数になると、いろいろ忘れがち。

対訳 サザエさん 全12巻セット (講談社バイリンガル・コミックス)より

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  店の方から、歩いてくる

「売残らしい 小鯛を まだまけず」。魚屋が勝手口まで来るから、皿だけ持って買えばいいスタイル。食品トレイもレジ袋もエコバッグも不要…。森茉莉のエッセイに"昔は、お刺身の方から歩いてきたようなものだった。今は買い物に行かなくちゃいけないからすごく面倒"みたいなのがありましたが、こういう感じだったのでしょうか。(昭和3年 宮尾しげを「現代漫画大観」)

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▽こちらの動画は、多くの女性が風呂敷で即席のバックパックを作って背負っています。着物のハウツー本にはまず出てこない姿です。

 買い物カゴを使う

買い物カゴ(Flickrより)。つい「のんびりした、古きよき昭和だなあ」と思ってしまいそうになりますが、敗戦から10年たっていません。傷が癒えていない時代だということを、頭のスミにおいておきたいですね。Hiratseka, March 1953

Hiratseka, March 1953

Japan, 1950-55

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以上、レジ袋がない時代の紹介でした。

私自身は、もともとレジ袋がガサガサして苦手。なので、昔からたためるエコバックを愛用しています。それが1番、肩がこらない!本当は、映画などでよく見る「高級ブランドのショッピングバッグを10個ほど持ってお店から出てくる」みたいなスタイルにも憧れているんですけれどね…

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八紘一宇・HAKKO ICHIU

フランク・キャプラによるプロパガンダ映像「汝の敵 日本を知れ」は、「八紘一宇をアニメーションで繰り返し説明しています。「ハッコウ イチウ」って。

以前はネットフリックスでやっていたのですが、今は見ることができません。かわりにYouTubeをどうぞ。

youtu.be

「ハッコウ イチウ」=HAKKO ICHIU。アジア風フォントです。

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 「ジンム」(天皇)が「ハッコウイチウ」の巻物を広げて見せます。

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 日本の屋根はこれから世界中にどんどん広がるぞ、というアニメーション。屋根は世界を覆いつくし、アメリカに迫ります。フランク・キャプラは、遊びたいさかりの青年達に、闘う必要性を素早く理解させるためアニメを採用したとのこと。

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立川基地にあった八紘一宇の石碑

 これはフランクキャプラの映画とは全く関係ない画像ですけど、占領下の立川エアベース(Flickrより)を見た時「この人たちに石碑について説明しても、わからないだろうなあ」と思っていました。しかし彼らが「汝の敵日本を知れ」を見せられていたのだとしたら、話は別ですね。「あ、ハッコウイチウ?あの屋根が広がるアニメだよね。知ってる知ってる」となるのかもしれません。f:id:NARASIGE:20200627081059j:plain

 同じくNetflixで「伝説の映画監督 ハリウッドと第二次世界大戦も見てみました。

www.netflix.com

フランク・キャプラ は、その他にも、兵士向けアニメを手がけていたそうです。このアニメはディズニーではなく、庶民的なユーモアを得意とするワーナーに依頼しました。一般人は見ないので、エッチな絵もオーケー。エッチで愉快なアニメを見ながら「機密をもらすな!」等の注意事項が学べる仕組み。

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フランク・キャプラは絵本作家のドクター・スースと組みアニメを制作…ってドクター・スースはあの緑色の「グリンチ」の人なんですね。

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アリの群れのような日本人像…。(「汝の敵 日本を知れ」も、日本兵のクローン感がすごかった。)

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ドクター・スースの絵本…。

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 現在、 フランク・キャプラAmazonプライムで検索すると「素晴らしき哉、人生」みたいな名作が並ぶのですが、Netflixで検索すると戦時のプロパガンダ映画のみが出てきます。住み分け…なのでしょうか?それは別に結構ですが、同じ監督が時勢に応じて色々な作品を手がけ、芸風を変えていくサマを、全部見せてくれてる配信があってもいいのではないでしょうか。

変わる変わるよ、フェーズは変わる

私は、戦中・戦後のことをチマチマ調べていますが、以前は、そんなもの一切知りたくない人間でした。親が戦時中に疎開していた世代なので、子供たちに昔の苦労を語り「それにひきかえ、恵まれたお前達は…」と説教するからです。

 

そんな私が変わったのは、10年ほど前に青山の古書店日月堂」さんで「ホームライフ」という雑誌をなにげなく数冊買ったことにはじまります。「ホームライフ」は、上流階級の暮らしが取り上げられている浮世離れした雑誌だったので、「まア、優美ねえ」などと楽しく眺めていたのですが、ある号がいきなり軍国っぽい記事で占められていることに驚いたのです。

 

そう、昭和12年7月に起こった盧溝橋事件の後に、「ホームライフ」は大変身したのです。「雑誌って、こんなに短期間に変わってしまうのか!」とビックリ。(現代の雑誌で適当な例が思いつきませんが、例えば「Casa BRUTUS」や「ELLE gourmet」のような雑誌が、たった2ヶ月で戦争の記事ばかりになるような感じ…でしょうか。)

 

 そんな急激な変化の、ほんの一例をご覧ください。まず、チョコレートの広告。「事変」前は、愛らしくも洗練されたイラストですね。「焦げ茶色の魅惑」というコピーに、バカンスの香りも漂っている。

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 ところが、同年の秋、昭和12年11月号。同じ明治チョコレートですが「工場」「健康」「品質」って。急に、チョコレートの夢がなくなっているんですけれど!

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 また、ファッションページ。昭和12年9月号では、まだ洋装の街角チェック特集をやっています。(今もこういう特集ありますよね)

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 そして、たった2ヶ月後の昭和12年11月号。急にモンペを推しはじめましたよ。2ヶ月前には「婦人服のモオド」とか言っていたのに。

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 この急激な変わりようを、編集後記からの視点で見てみましょう。「事変」直後の昭和12年9月号の編集後記は、ひとことで要約すると不安だなあ、でも落ち着かなくちゃ!です。"北支事変があったから写真部員が少なくなって、心細いな。戦地から送られてくる写真と、本誌の作っている優美な世界のギャップがすごいよ…。今は、国中が興奮しているけれど、いたずらに騒がないで、自分のできることをやっていこう"みたいな感じ?

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 そして、2ヶ月後の昭和12年11月号。カラ元気かもしれませんが、なんだか力強い文章になっている。この急な変身ぶり見ていると、変わるー変わるよフェーズは変わるー♪と歌いたくなってしまうのです。

※このあとの号(昭和13〜15年)は、それなりに贅沢雑誌に戻っていました。事変直後に地味にしすぎた揺り戻しでしょうか。

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庭園美術館と防空壕と。

新型コロナによる緊急事態宣言が解除されたので、かねてから行きたかった庭園美術館「東京モダン生活 東京都コレクションにみる1930年代」を見てきました。

そして、敷地の一角にある防空壕をチェック。防空壕は3箇所あるそうです。そう!1933年竣工の朝香宮邸にウットリしていると、「東京モダン生活」の時代には、防空壕時代がすぐソコに迫っているという点を、つい忘れがち。

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「東京モダン生活 東京都コレクションにみる1930年代」では、1935年頃(昭和10)の銀座のモガの写真や都市の版画などが美しく展示されていました。それはそれでたいへん結構なのですが、このような昭和モダン系の展示は、その10年後の焼け野原も一緒に展示してほしい。洒落たモダン生活に、焼け野原を混入したら展示に統一感がなくなるけれど、あえて「後日談」のように付け加えてほしい。

 

ほら、なんとなく「1935年のモダンは庭園美術館が担当」「1945年の悲惨は九段の昭和館が担当」って、役割がわかれているじゃないですか…。「モダンはモダン」「悲惨は悲惨」、「ソレはソレ」「コレはコレ」って。でも、1935年と1945年は、平行宇宙じゃない。時間の流れは1つです。1935年から1945年まで、シームレスに展示してほしいのです。(辻田 真佐憲さん等とコラボして…)

 

輝いていた1935年から敗戦の1945年まで、アッという間だということを、現代の私たちは想像しにくい。しかし、アッという間にフェーズが変わる恐さを、今こそ私たちは体感する必要がありそうです。

 

たとえば、1935年の美しい銀座モガと一緒に、↓この煤けた写真(Flickrより)も展示してほしい…。この貧しげな町、いったいどこの場末?という感じですが、実は、これ、銀座なんです。矢印の建物をよく見てください。これ、焼け焦げた銀座三越なんです。ほらね、モダン生活も、恋の都も、あっちゅう間にこのザマですよ。あっけないですよ!

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焼けたばかりの銀座三越。上の写真と比較してくださいね。

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長谷川町子さん、翼賛一家

長谷川町子さんの「翼賛一家 大和さん」。たまたま、最終回がのっているアサヒグラフを持っていたので、のせておきます。(昭和16年5月14日号。)

 

この時、町子さん21歳。長谷川町子美術館に、詳しい年表があります。

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対談やエッセイをまとめた長谷川町子思い出記念館という本の巻末年表には「翼賛一家 大和さん」が出ていません。(町子さんが対談中、新人時代を振り返って「戦争中は、情報局の人たちに、これは軍に協力的ではないとか言われましてね」と、サラッと語っている部分はありました。これが何の作品についての発言かは、わかりません…)

 

ちなみに、同じ号の別ページは、ヒットラー少女団員」が体操しています。「逞しい『次の世代』を生むために」「はち切れる青春の肉体」を」鍛えているのです。次の世代を「次の世代」とわざわざカッコに入れているのが、なんともいえません。生命の泉(レーベンスボルン)を連想させて…

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しかしこの時代の雑誌は、「体操」だの「鍛錬」だのいって、薄着の若い娘の集団を載せるよなあ(これは昭和12年「ホームライフ 」より)

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駅弁売りが隠れる時代(宮脇俊三『時刻表昭和史』より)

戦時中の駅弁売り

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「浮かれているように、駅売駆け歩き」(宮尾しげを「現代漫画大観・川柳漫画」昭和3年より)

 

昭和3年の駅弁は、浮かれているような動作で売られていたのですね。

 しかし戦争が激しくなってくると、駅弁売りは柱の陰に隠れていたそうです。隠れる理由を以下、増補版 時刻表昭和史 (角川ソフィア文庫)より、引用します。

当時刻表の駅名の上に駅弁販売駅を示す「弁」のマークはついていても、売子の姿が見当たらないのである。

当時の駅弁売りは、声をあげてホームを行ったり来たりはしなかった。むしろ、人目につかぬよう待合室や柱の陰にひそんでいることが多かった。客に見つかると群がり集まってきて、われ先にと駅弁をつかみ、収拾がつかなくなるからであった。

それは商売というよりは建前としてやむをえず売らされている、という感じであった。事実そうであったろう。駅弁業者には米が特配されていたから、その権利を維持するためには、形ばかりでも駅頭で売らなければならないからであった。

そういう駅弁であったから、窓からではまず買えなかった。駅につくやいなや急いでホームに降りて、後ずさりする駅弁屋めがけて突進しなければならない。けれども一人旅ではそれはできなかった。その間に網棚の荷物を盗まれる心配があった。

 駅弁屋が後ずさり、って! みんながどれだけ殺気立っていたのか…

コロナ禍でマスクに群がった人

 新型コロナでマスクが不足していた時期に、"駅弁屋の後ずさり"を連想させるツイートを見かけました。舞台はコストコ

コストコ で、マスクをカートに入れている客を見かけた。スタッフにマスク売り場をたずねたら、奥の部屋からマスクをソッと渡された 

みたいなツイートです。現在そこはマスクが大量に入荷しているようで、とりあえず、めでたしめでたし。

いやはや、コロナ禍を体験したことによって、戦中のエピソードが臨場感をもってせまってくるようになりましたね… 

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若い女性の集団と「水兵さん」「在郷軍人さん」

昭和12年7月号のホームライフ 。この号は、若い女性の集団と「水兵さん」「在郷軍人さん」が一緒にうつっている特集が2つ。(この雑誌を何冊か持っていますが、その前の号までそういう特集は見かけませんでした。とにかく、お花がきれい・お庭がきれい・ハイキング楽しい、みたいな浮世離れした記事ばかり)

 

1つ目。大阪割烹学校の生徒達が、「軍艦生活」を体験する記事です。

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「36センチ巨砲を見上げる」

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まア、巨砲ね…!!(と言っているのかどうか…)

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軍艦気分を満喫した」

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水兵さんと一緒に食器洗い

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水兵さんからイカリの説明を聞く」

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2つ目。同じ号の別記事です。在郷軍人さん」から松竹少女歌劇が軍国的訓練を受けるというもの。

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男役の少女達なので背が高い。中央に在郷軍人さん」。

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ちなみに同じ号の巻頭特集は「近衛新内閣」でした。中央はヒットラーに扮した近衛公。説明文には、「和気あふるる新宰相の家」とあります。

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