佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

新興国 満洲へ

失恋したら満洲

みんな大好き獅子文六悦ちゃん」(昭11)から、悦ちゃんのパパ「碌さん」が失恋した時のシーンです。満洲行きは、当時の失恋あるあるだったのでしょうか。

実際、碌さんは、病人のようになった。(略)女に嫌われて、そんな反応を起こすなんて、よっぽど時代遅れの人物である。失恋したら、満州へ行くとか、高利貸しを始めるとか、いくらでもテはあるのに、徒らにヤキトリを食って、泡盛を飲んでばかりいる。

新興国では勇士になれる?

以下、満洲にまつわる漫画を少しご紹介しますね。

日増しに殖えるルンペン氏も 新興国満洲へ渡れば赤い凍土と狼と馬賊を征服する勇士となる

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昭和7年8月 新潮社「日の出」創刊号付録 よろづ秘訣宝典

日本人総出でもOK

満洲の農耕地は何人の人口を容れ得るか」という記事です。「日本人総出で開墾に従事しても差支ない訳である」💦

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昭和8年5月講談社「キング」

国際連盟脱退へ

ご存知の通り、満洲をめぐってたいへんなことに…

「いよいよとなれば日本は連盟を脱退するばかりだ」「満洲の事情も知らぬ小国の奴等に何が分かるものか」

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昭和8年2月講談社「キング」小野寺秋風

満洲で風邪をひかない秘訣

昭和50〜60年代の青年向け雑誌のコラム欄にありそうな絵ですが、昭和13年なんです。

大村卓一満鉄副総裁「寒い満洲で風邪ひとつ引かず達者でゐるのは、全くこの夏冬通しての朝の裸体体操のお陰だ」と逢ふ人ごとに体操をすすめるのである。

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昭和13年3月講談社「キング」

古関裕而満洲視察

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▼時代の急変を小さな冊子にまとめました。

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ポール・ジャクレー の記事(昭和13年の雑誌から)

 ポール・ジャクレー

「仏人画家ジャクレー 氏」

昭和13年の雑誌にフランス人の画家ポール・ジャクレーが出ていました。この時、36歳。

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ホームライフ (大阪毎日新聞社昭和13年4月号

蝶の蒐集と、和服

昆虫採集は台湾新高山で採取した異型蝶にジャクレチーといふ学名を持ち、世界中から蒐めた蝶の標本は所狭く部屋に飾られている。氏は常に和服を着て「若禮」のペンネームを持っている(略)

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ホームライフ (大阪毎日新聞社昭和13年4月号

サイパンの娘とヒピスカースの花」 「メナドの男とマングステン」

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ホームライフ (大阪毎日新聞社昭和13年4月号

【参考画像 】同じ号のほかの記事

宮崎神宮参拝のナチス 代表」

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ホームライフ (大阪毎日新聞社昭和13年4月号

 サイパンの関連話題

ポール・ジャクレーの絵にたびたび登場するサイパンサイパンの関連話題をどうぞ!

サイパンが登場する久生十蘭の小説。怖くて美しい。

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▼B29はサイパンから。

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女給が出征?(獅子文六『女給双面鏡』)

獅子文六「女給双面鏡」と出征

獅子文六の『女給双面鏡』(昭和13)は、大島弓子の「つるばら つるばら 」を連想させる作品です。内容はかなり違うけど。

主人公は、幼い頃から女の子に間違えられてきた青年。彼はどの仕事をやってもうまくいきません。仕方なく、男性であることを隠して「キャフェの女給」になってみたら、これが大成功!“モダンな女性の髪型は、男性の髪型と同じ”であることを利用したのです。ところが女給としてモテモテの彼にも、召集状が来てしまうのでした…。*1

獅子文六全集ではラストがカットされていた

先日、『女給双面鏡』が掲載されていた雑誌(新潮社『日の出』昭13年2月号)を買ってみたんですよ。そして掲載時のラストシーンが『獅子文六全集』*2では1ページ分削除されていることを知りました。

ちなみに削除されたラストは、“召集を知った主人公が「国家のお役に立つ時がきた」と、突然男らしくなる”というもの。しかも女っぽかった昔の自分を(罵詈雑言を用いて)猛反省している!戦意高揚系雑誌「日の出」の連載だから、余計そういう展開がもとめられらたのかもしれないけれど…残念です。

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新潮社「日の出」(昭13年2月)挿絵 吉田貫三郎

▽「ユーモア小説 女給双面鏡」とあります。コート姿も華奢な主人公。

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▽参考:男女ともいけそうな髪型の例。ツヤツヤです。(昭和9年

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主婦之友(昭和9年11月)

「女給双面鏡」が発表された時代

獅子文六の『女給双面鏡』を目当てに買った「日の出」(昭和13年2月)。その他にもインパクトの強い画像があるので少しだけご紹介しましょう。

「日独伊防共をどり」

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歌詞を拡大。「ひっとらへたら容赦はナチス

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巻頭漫画「日独伊防共記念釣り会」小泉紫郎

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支那事変画報」

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「兵隊ごっこ」の漫画

寺尾よしたか 「アレ デコ 坊の家 誰か出征したの?」「僕の兄イちゃんダイ」

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『女給双面鏡』が掲載されていた新潮社「日の出」は、かなり時局に便乗した雑誌のようですが、私は何冊か持っています。獅子文六の作品が載っているし、漫画がかわいいから。

獅子文六全集で「面白いなあ、読みやすいなあ」と思った作品は、大体「日の出」に掲載されていたんですよ。なんだか、くやしい(笑)

gendai.ismedia.jp

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*1:『女給双面鏡』は“女給の出征”ですが、獅子文六が同年に書いた『女軍』にも、“芸者の出征”がチラッと出てきます。「性の扉を誤って開けてこの世に生まれてきた、男や女が時々いる」と。

*2:第2巻 昭44・朝日新聞社

教文館の塔は、いつ消えた?

教文館の摩天楼?

敗戦から数年〜10年(1950年代)の写真をflickrで見ていたら、銀座の「和光」と「教文館」がうつっていました。 とても暗い写真だったのですが、明るさを調整しているうちに「塔」を発見したのです。Tokyo View | Japan, 1952-55 Photographer unknown | m20wc51 | Flickr

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拡大してみました。教文館の素敵な塔です!ここだけニューヨークみたい?! (この塔、セキセイインコのおやつである「イカの骨」にも似ているなあ。)

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教文館の塔と、復興中の銀座

ちなみに、こちらは銀座4丁目から見た教文館の塔。教文館の壁面に「LIFE 」「TIME」など、アチラの雑誌広告が見えます。(和光は接収されてTOKYO P.X.に。)Tokyo PX - Street Scene - GSW_2x3Neg_Book2_055m | Street sce… | Flickr

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この頃の銀座は復興の真っ最中で、まったく銀座に見えない。人々も教文館の塔を見上げる余裕があったのかどうか…。写真中央の窓全開の建物は銀座三越です。Tokyo Street Scene - GSW_2x3Neg_Book2_059m | Street scene, T… | Flickr

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教文館の建物の歴史については、公式サイトを。

www.kyobunkwan.co.jp

消えた塔

こちらは1967年頃。もはや広告だらけで「教文館」自体が見つけにくい!素敵な塔は、ちょうどビクターの看板の部分にあるはずなのですが……。もしかして看板をかぶせている?Tokyo - Chuo-Dori | Chuo-Dori, one of the main streets in To… | Flickr

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歴史のあるビルは広告に埋もれがち

▽上の写真から教文館の壁面を抜き出しました。赤い囲いの中を見てください。「前田クラッカー」と胃薬の広告の間に「教文館ビル」の文字が存在しています。それにしても密集していますね!

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オマケ 塔のあるビル(京都)

京都を撮影した写真でも 塔のあるビルを見つけました。オマケに貼っておきます。Hotel Rakuyo, Kyoto, Japan 1953Hotel Rakuyo, Kyoto, Japan 1953

丸物百貨店。塔が複数たっているように見えます。Kyoto, Japan, 1953

2016-11-10-0017


▽素敵なビルに、ガンガン広告を貼る代表例といえば、有楽町の日劇日劇の変化をぜひご覧ください!

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▽銀座が焼け野原になっていた時代

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獅子文六と「ス・フ」(ステープル・ファイバー)

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獅子文六の「ス・フ」ネタ


みんな大好き獅子文六

獅子文六がユーモア作家としてブレイクした途端に、世の中は戦争モードになりました。なので、初期の作品中に「ス・フ」=ステープル・ファイバーがたびたび登場するんです。しかも“ここが、笑うポイントですよ!”とばかりに出てくるので、例をご紹介しますね。

「ス・フ」と純綿の買い占め

『今年の春外套』(昭13『獅子文六全集集11巻』朝日新聞社)は、「ス・フ」にふりまわされる夫婦の話。なんならス・フが主役といってもいい作品です。

日中戦争がはじまり、国策で布に「ス・フ」が混用されるようになると、妻はあわてて「純綿」を買い占めます。それを見た夫は偉そうに説教をしますが、ラジオの受け売りだとすぐにバレてしまう(笑)

「お前の行為は、頗る反国家的である。国民が、悉くス・フを着る時には、お前もまたス・フを着なさい。自分だけ純綿を着ようというのは、甚だ時局の認識を欠いている。」

「まア、口真似がお上手だこと。昨夜の放送の文句と、そっくりよ。いいわ。そんなにス・フがお好きなら、あなた1人でお着になるといいわ」

当時、全国の家庭で似たようなやりとりがあったのではないでしょうか? 『今年の春外套』が書かれた昭和13年女性誌を読むと、スフ特集がたくさん。「今のうちに純綿を買いだめよう!」という記事もあれば、「買いだめはダメ!スフの愛用こそ愛国精神の発露だッ!!」みたいな記事もあって、混乱ぶりがうかがえます。

「ス・フ」ギャグ一覧

獅子文六は、そのほかの作品でも愉快な「ス・フ」ネタを連発しています。だいたい"ニセモノ・粗悪品"のニュアンス。「スフ」「ス・フ」と表記にバラつきがありますが、『獅子文六全集』(朝日新聞社)の表記のまま引いてみましょう。

  • ス・フを裂くような声(「信子」昭13)
  • 半処女なんて、スフ混織の浴衣よりまだ始末が悪い(「女軍」昭13)
  • スフ入りの俳句(「好漢奇癖あり」昭14)
  • 「どうせ、タービン的な少女なんて、日本中探したってありゃしないからね。ス・フ7割混用というところで、我慢するかな」(「東京温泉」昭14 ※タービンは、女優ディアナ・タービンのこと)
  • 『綴方教室』の映画から、貧窮生活を抜いたら、オール・スフみたいなものだ(「団体旅行」昭14)

などなど。

▽「オール・スフ」の比喩が登場する傑作短編「団体旅行」についてはこちら

narasige.hatenablog.com

▽「ス・フ7割混用」の比喩が登場する『東京温泉』についてはこちら

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不足する純綿と、不足する女中

直接「ス・フ」とは書いていないけれど、「ス・フ」を匂わせている作品もあります。たとえば「断髪女中」(昭和13)。女中不足の時代に、がんばって女中を探すお話です。ようやく良い娘が見つかったとき、雇い主夫婦はこんなカケアイをしています。(※該当部分を抜粋し、「妻」「夫」を加筆しました)

妻「女中がありましたよ。どう?」

夫「どこかに、ストックが残っていたんだね」

妻「バカにしてるわ、純綿の浴衣じゃあるまいし」

 このやりとり、優秀な女中を(スフ入りではない)「純綿」のストックにたとえているところがミソ。当時はこの部分が、めちゃくちゃウケたことでしょう!

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参考:ボロボロになるスフの例

スフの弱さを特集した昭和15年の記事をどうぞ。2、 3回着ただけで服や足袋がボロボロになる例を挙げています。

「いくら国策とはいへ、スフの脆さにはどこのご家庭でもホトホト悩まされていらつしやるでせう」

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昭和15年4月号「ホームライフ 」(大阪毎日新聞

「スフの改良はできぬか」

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 昭和15年4月号「ホームライフ」(大阪毎日新聞

上記のスフ記事が掲載された『ホームライフ』(大阪毎日新聞)は、もともと浮世離れしたリッチさがウリの雑誌だったけれど、昭和12年夏に日中戦争がはじまると「スフ」だの、「蛙を代用皮革に」だの、リッチと程遠い記事が増えていきます。


以上、獅子文六の「スフ」ギャグのご紹介でした。しかし「ス・フを裂くような声(『信子』」昭13)で、人々が笑えていた頃は、まだまだ日本に余裕があったのですね。ご存知のとおり、その後日本は、笑っていられない時代を迎えます。

▽ 時代の急変を冊子 にまとめました。よければご覧ください。

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▽ 洋裁学校で「スフ」を縫わされたエピソードは、こちら。

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謎の映画館が、実は〇〇だった!

GINZAを名乗るナゾの映画館

 ここ十数年ほど、私の趣味は敗戦間もない時期のカラー写真を見ることです。(進駐軍の子孫が、“ダッドやグランパが撮影した写真”としてネットにあげている)。

こないだ、「暖房完備」をうたっている映画館を見つけました。撮影は1954(昭和29)。この頃は、暖房がウリだったのですね。看板に「GINZA」と思われる文字が見えます。装飾がゴチャっとしているので、「銀座に憧れている町が、勝手に“銀座”を名乗っているパターンじゃないかなあ?」と思っていました。Tokyo 1954 | by George Washenko | Kris_41 | Flickr 

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▽拡大したところ。GINZAの文字が見えます。

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銀座にこんな広い空はないはず?!

で、後日また同じ映画館の写真を発見しました。撮影は1950年(昭和25)。上の写真の4年前です。このガランとした背景を見て「いやいや、これは、絶対に銀座じゃない。どこかの町が、銀座を名乗ってるケース!」と確信しました。

敗戦から数年とはいえ空が広すぎます。私は、中央区生まれなので【最寄りの繁華街=銀座】でしたが、その(頼りない)カンから「ここが銀座なわけがない」と判断したのです。

300 - 21Jan50 - Tokyo | NorbFaye | Flickr f:id:NARASIGE:20090825091954j:plain念のため拡大してみると「THEATRE  GINZA 」と書いてあります。屋根の飾りがペラペラで即席っぽい。f:id:NARASIGE:20090825091957j:plain

ナゾ映画館の正体

 しかし「いや、待てよ?THEATRE  GINZAって、“シアター銀座”かと思ったけれど、テアトル、なのかな?テアトル新宿のように…?」とひらめき、ググってみました。

すると正解は、やはり「テアトル銀座」でした!そして「テアトル銀座」は、のちの「テアトル東京」だったのです。「テアトル東京」というのは、銀座の端の方、京橋寄りに存在した映画館。「本当に銀座にある映画館なの?」と疑ってすみませんでした。

テアトル東京時代

そして、これが1980年のテアトル東京です。左側は高速道路。残念ながら私は行ったことがありません…(画像は『銀座百点624号』銀座を彩った名建築」特集より)

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▽ここで、もう1度1950年の写真を見てください。左側の広い空間に、高速道路が出来るのでしょうね。(この時点では、まだ京橋川

▽ちなみに、これは1962年頃の「テアトル東京」。後ろ側から見たところです。のちに高速道路になる部分が、まだ川。画像は中央区立京橋図書館より拝借しました。

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「裏」からみると「テアトル東京」の建物に「テアトル銀座」と書いてあるのが、ややこしい!1955年に「テアトル東京」が出来てからも、地下には名画座として「テアトル銀座」が存在していたようです。Twitterには子供時代の思い出として、メインの「テアトル東京」と、地下の「テアトル銀座」を、ちゃんと区別してつぶやいている方達がけっこういらっしゃいます。

高速道路が、未完成だったころ

参考までに外国人向けの観光マップに出ていたテアトル東京をどうぞ。「テアトル東京」脇の高速道路が工事中!引用元のflickrを拡大すると、銀座の他の部分はすでに高速道路が完成していることがわかります。

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セゾングループの世界

 さて、いきなり時代はとびます。1981年テアトル東京が閉館し、1987年、ここに「ホテル西洋銀座」がオープンします。白い!大きい!このビルを手がけたのは、江戸東京博物館でおなじみ菊竹清訓

同ビル内の施設も、「ル・テアトル銀座by PARCO」、「銀座テアトルシネマ」と、いかにも西武な名前に。もう暖房完備がウリだった1950年代の面影はありません。そういえば、私も「ル・テアトル銀座by PARCO」に黒柳徹子の舞台を観にいったことがありましたっけ…。写真は銀座経済新聞 2012.05.08より

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セゾン→コナミに!

 まだまだ変化は続く。ゆるぎなく見えた「ホテル西洋銀座」のビルですが、2013年に閉館。白亜の建物は解体され、現在は「コナミクリエイティブセンター銀座」になっています。短い間に変わりすぎ!もし映画「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」みたいな地縛霊がいたら戸惑いますよ。

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以上、銀座のナゾ映画館=テアトル東京の変遷でした。敗戦後の日本を早回しで眺めている感覚を味わっていただけたでしょうか?しかし変化の様子が、まるでちいさいおうちですね…。


▽そのほかの映画館については、こちらを ご覧ください。

narasige.hatenablog.com

▽基地と映画館について。

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映画館いろいろ(1950年代のカラー写真から)

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先日、新しくできたシネコンに行って驚きました。あまりに「倉庫」っぽい外観だったから!そのエリアはもともと倉庫が多いので、どれが倉庫だか、どれが映画館だかわかりゃしない(笑)。  今日は、倉庫とは真逆のハデめな映画館を紹介します。1950年代前半に撮影された写真が中心です。※なぜその時期にカラー写真が豊富なのかは、こちらをご覧ください。

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映画館の紹介の前に、焦土の写真を

 突然ですが、映画館の紹介の前に敗戦直後の写真を貼ります。 国破れてサンガリア…。これから紹介するのは「空襲を免れた」映画館が多いので、「あれ?戦争って、たいしたこと無かったのかな…?」と、つい錯覚しそうになるんですよ。御用心、御用心!モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクションには、このような写真が多数あります。ぜひあわせて見てください。f:id:NARASIGE:20210226183413j:plain

敗戦から数年〜10年経過した映画館

「暖房完備」が売り

さて前置きが長くなりました。以下はflickrなどで見つけた敗戦後数年〜10年経過した写真の数々です。

Tokyo 1954 「暖房完備」の看板に注目!暖房が完備ではない映画館も多かったのでしょう。Tokyo 1954 | by George Washenko | Kris_41 | Flickr

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1953 12 Japanese Theater, Kobe 神戸。こちらにも「本格暖房」の看板が。Navy 37 1953 12 Japanese Theater, Kobe | pveSummerhaven | Flickr

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そういえば、古谷綱正「私だけの映画史―国民の創生からキュリー夫人まで (1978年)」に、ガールフレンドと"暖房のない映画館"に行ったエピソードがありました。敗戦直後、彼女は映画館の底冷えから持病が悪化。その後亡くなったのです。戦争を生き延びたのに映画館が理由で死ぬなんて悲しすぎます。

有楽町・数寄屋橋付近

Tokyo, 1950 現在のマリオンのあたりです。左は有楽町の日劇、右は朝日新聞社。電柱に月光荘の看板。

Tokyo, 1950

Nihon Gekijo (National Theater) Tokyo, Japan circa 1952 日劇を近くで見るとこんな感じ。「春のおどり」の下に「私はシベリヤの捕虜だった(1952)」

Nihon Gekijo (National Theater) Tokyo, Japan circa 1952

拡大。「私はシベリヤの捕虜だった(1952)」のフォントが、妙にポップ。

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Tokyo 1954 こちらも有楽町。松竹ピカデリーです。手前にクズ拾いの人が寝ているのがわかりますか?パッとみた感じでは、①クズ拾いの人が、②松竹ピカデリー のすぐ前で寝ているように見えますが、実は①と②の間には距離があります。下の写真に続く↓↓ Tokyo 1954 | by George Washenko | Kris_41 | Flickr 

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実は、①クズ拾いの人と、②松竹ピカデリー の間には、川(堀)があるのでした。その後、川は埋め立てられ西銀座デパートになります。(以前、中央区出身の年配の方にこの写真を見てもらったことがありました。ピカデリーに突っ込んでいるように見える橋はピカデリー専用の橋ではなく、有楽町駅につながっていたとのこと)FH000070-090104-19 | discovery2009 | Flickr

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 福岡

Korea and Japan, 1953-56 右端に福岡東宝劇場。スーツ姿の男性。2016-04-10-0038 | Korea and Japan, 1953-56 Photographer: Rol… | Flickr

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上の写真と同じ男性の制服姿。

Roland F. Stead, Jr. 1952

日本語の看板と、英語の看板

Korea and Japan, 1953-56 こちらは同じ映画を日本語と英語で出している例。「雨に濡れた欲情/Miss Sadie Thompson」

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この映画館はどうかわかりませんが、立川基地の場合、アメリカ兵は1人で映画を見ないため(←日本女性を同伴)洋画の上映館は得をしたそうです。

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戦前の凝った建物

Kyoho Theater, 1952  京都宝塚劇場(京宝シアター)。日本にまだ余裕があった時代に作られた映画館。

Kyoho Theater, 1952

1951 Tokoyo, Japan 東京宝塚劇場。1955(昭30)の接収解除後、4階が日比谷スカラ座になったそうなので貼っておきます。この時点では接収されていて「アーニーパイルシアター」。最上階にErnie Pyleの文字。(参考:沖縄伊江島にあるアーニーパイルの碑

1951 Tokoyo, Japan

参考までに、敗戦2年頃の東京宝塚劇場前。日本人の方が少数派です。Tokyo, Ernie Pyle Theater, March 1947 | Japan and Korea, Mar… | Flickr

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Navy 1954 01 10 Koda Sai Theater Tokyo キャプションは「Koda Sai」となっていますが浅草の国際劇場です。

Navy 1954 01 10 Koda Sai Theater Tokyo

Japanese Theater, 1952「愛欲の十字路」Japanese Theater, 1952

Movie Theater, Japan 1954 。異世界へ連れていってくれそうな建物。こういう外観は流行りすたりが激しいだろうなあ。Movie Theater, Japan 1954 | Japan, 1954 Photographer: LKB | Flickr

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生活がうつりこんでいる写真

天秤棒をかつぐ女性

 Japan, 1955-59 立派な劇場の手前に、天秤棒の女性がいるのが見えますか?

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天秤棒の女性拡大。割烹着で重労働。

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妊婦さん

Japan 1949-1950 光音座?写真中央の女性、お腹が大きい。

Japan 1949-1950

赤いねんねこ

Japan, 1955-56 右端にねんねこ の人がいます。

 East of Eden, 1956

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 オマケ・1972年、哀しみのトリスターナ

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 以上、映画館にまつわる写真アレコレでした。

冒頭でふれた【映画館に暖房無し→持病が悪化→死亡】のパターンは、絶対にごめんです。豊かなアメリカ映画を凍えながらみるのはミジメすぎる。

しかし現在のように、冷暖房をかけまくる映画館もイヤ。湯水のようにエネルギーを使い続けるのはどうなの?昔の映画館を見ていると、あらためてそんな疑問も湧いてくるのです。

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