佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

コロナ禍の5万RTツイートと、獅子文六『おばあさん』

コロナ禍のツイートと、「古き良き時代」のマジック

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2021年9月6日時点で、約5万RT・11万いいねがついているツイートです。私はこれを読んで獅子文六の戦時中の小説『おばあさん』を連想しました。深刻な状況は後世に伝わりにくいという意味で…。今日はその話をさせてください。

もし50年後の人が、コロナ禍のツイートを見たら

2021年9月6日の私たちには、最後の1行「元気でいて」に、どれだけの想いがこめられているのか痛いほどわかります。激増する感染者数。重症でも救急車に乗れない状況。ワクチン接種に長蛇の列。自宅で急に亡くなる人々、明日は我が身と怯える日々…そんなギリギリの状況で生まれたツイートなのです。

でも、もしこのツイートが半世紀後、2070年頃の人に発見されたらどうでしょう。「ネイル」「ペット」などの楽しげな言葉から、「古き良き時代の、ほっこり応援ポエム」に見えてしまうのではないでしょうか。50年も経過すると、行間や背景がわからなくなってしまうから。

▽2021年にこのツイートを見ると、(背景を知っているから)「元気でいて」にこめられた強烈な想いが身に沁みる。

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▽2070年にこのツイートを見た場合、ふんわりしたポエムに見えるはず。時代背景が曖昧になっているから。f:id:NARASIGE:20210907125044p:plain

獅子文六『おばあさん』は「ユーモア満点な痛快小説」?

半世紀以上たつと時代背景がフワッとして、すべてが「古き良き時代」みたいに漂白される現象って、ありますよね。私がそれを1番強く感じるのが日米開戦後に書かれた『おばあさん (朝日文庫)』です。

文庫の裏表紙には「昭和初頭の家族をユーモア満点に描いた痛快小説」とあるけれど、実際はどうだったのか?『おばあさん』の時代背景をみていきましょう。

どんどん悪化する状況と、輝いて見える「近い過去」

『おばあさん』は、雑誌「主婦之友」に、1942年(昭和17)2月から1944年(昭和19)5月まで連載されました。そして『おばあさん』連載中の3年間にも、みるみる状況は悪くなっていきます。

▽“戦中の雑誌あるある”。たった数年で極端に薄くなる!

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もし『おばあさん』が「昭和初頭の家族をユーモア満点に描いた痛快小説」に見えるとしたら、それは時代設定を「連載時より2、3年前(日米開戦前)」にした上で、明るさに振っているからでしょう。現在に例えるなら、コロナ禍のまっ最中に、あえてコロナ前を描いたコメディを観るような感じ?

『おばあさん』のリアルタイム読者は、刻々と変化する状況に怯えながら近い過去の物語(←『おばあさん』連載時よりずっと生活がマシだった)を切なく読んでいたのではないかなぁ、と想像しています。『おばあさん』の最新話を読んでいるその瞬間にも、夫や息子は戦地で肉片になっているかもしれないのですから。

読者の不安を受け止めてくれる、年上の女性像

 “戦地の夫は(息子は)どうなるの?これから日本はどうなるの?”そんな読者の気持ちを受け止めてくれるのが、主人公のおばあさんです。キモが座っていてユーモアがあって、お嫁さんに優しい。ラジオで戦局チェックも欠かさない。もう理想のチャーミングなおばあさん。 もし私が当時の読者だったら「主婦之友」の発売日に『おばあさん』のページからむさぼり読むはず!

獅子文六は『おばあさん』の連載が終わるとすぐ、同じく「主婦之友」で“励まし上手のオバチャン”を主人公にした『一号倶楽部』*1をスタートします。そして『一号倶楽部』は敗戦まで続くのでした。

「遺児」「遺書」…死の香りが漂う誌面

実際に『おばあさん』が連載されていた時の「主婦之友」の誌面はこんな感じでした。

▽「遺族母子寮」の記事。「良人を御国に捧げた妻この母たちは、遺された子らをしっかりと守り、雄々しく生きぬこうと……」。

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主婦之友 1942年(昭和17)12月 大東亜戦争一周年記念号

▽目次。「大東亜戦争一周年を迎えて 東條英機」「軍国の母表彰式」「ほまれの子(遺児のこと)表彰式」「12月8日の感激」「勝ち抜く生活」等。「海軍潜水学校」の“岩田豊雄”は獅子文六の本名です。

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主婦之友 1942年(昭和17)12月 大東亜戦争一周年記念号

獅子文六は『おばあさん』を連載しつつ、同じ号に本名の「岩田豊雄」で海軍潜水学校もレポート。

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主婦之友 1942年(昭和17)12月 大東亜戦争一周年記念号

岩田豊雄獅子文六)の海軍潜水学校記事より。潜水艦の艦長が、最期に暗闇の中で書いた遺書。

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主婦之友 1942年(昭和17)12月 大東亜戦争一周年記念号

▽『おばあさん』にも登場する「陰膳」(出征中の留守宅でそなえるお膳)。

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主婦之友 1942年(昭和17)12月 大東亜戦争一周年記念号

“ユーモア小説”『おばあさん』の答え合わせを、『おじいさん』でする

以上、獅子文六『おばあさん』と、コロナ禍のツイートのご紹介でした。現在は文庫の表紙にユーモア小説として紹介されている『おばあさん』ですが、本当のところはどうだったのでしょう。その答えは、敗戦後に書かれた『おじいさん』(1947・昭和22)で明らかになります。

『おばあさん』が連載されていた当時、大日本帝国では何が起きていたのか?『おじいさん』は、そのへんがシリアスに描かれています。他の獅子文六作品のように楽しく読むことはできないけれど、機会があったらぜひごらんください。(朝日新聞獅子文六全集」第4巻には、『おばあさん』『おじいさん』が一緒に収録されています)

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*1:『一号倶楽部』は、獅子文六全集では『海軍』と同じ巻にまとめられています。なぜ明るいオバチャンの物語が、『海軍』と同じくくりなのか?それは、戦争末期にオバチャンが読者を(国策に沿って)朗らかに鼓舞しているから…。以下、獅子文六全集付録月報No.3 昭和43年7月より引用します。「今となっては、それらの文章は反古となり、かつ本名で書いたのだから、今度採録すべきや否やを、疑ったが、しかし、全集というものの性質を考えると、書いたものは全部収めるのが、至当と思った。私がそういうものを書いたのは、明らかな事実であり、また、戦争中の行動を秘そうとする1部の人々の考えを、私は正しいと思わない。 ただ、今頃そんなものは読みたくないという人と、逆に考える人と、2種あるだろうから、取捨を任せるために、戦争中の文章を1巻に収めることを、出版元に依頼した。」

堀内誠一と伊勢丹【14歳で伊勢丹の「装飾係」に】

敗戦間もない頃の伊勢丹で働いていた堀内誠一

もう10年くらい前の話になりますが、堀内誠一の展示「旅と絵本とデザインと」を世田谷美術館で見たことがありまして、その時の印象は「炸裂しているなあ!」でした。堀内誠一が手がけた『anan』や『平凡パンチ』のエネルギーが、とにかく炸裂していたのです。

14歳で伊勢丹の「装飾係」に

少年時代の堀内誠一は、伊勢丹の「装飾係」として働いていました。自伝『父の時代 私の時代』にはこうあります。

 伊勢丹時代は14歳で入社して9年と9ヶ月続きました。はじめは半ズボン姿じゃまずいからと店員月賦で背広を揃えさせられましたが、おまけに中折れ帽をかぶったりして、ずいぶん妙な姿だったでしょう。

ここだけ読むと、うっかり“今のような新宿伊勢丹”で働く、可愛い少年をイメージしそうになりますよね?あるいは映画「キャロル」に出てきたクラシックな百貨店とか。

でも14歳の堀内誠一が働きはじめた頃の伊勢丹は、敗戦間もない1947年(昭和22)の伊勢丹なんですよ。『父の時代 私の時代』には、そんな時期の伊勢丹が“内側から”社員の視線で描かれています。

父の時代・私の時代 わがエディトリアルデザイン史

伊勢丹のショーウインドウに「砂糖」を飾っていた時代

堀内誠一が働きはじめたころの伊勢丹は、たとえばこんな感じでした。

伊勢丹の建物は戦災を免れたビルの数少ない1つでしたから、3階から上は進駐軍に接収されていました。百貨店の売り場は地階と2階までですが、まだ1階の奥には、お米の配給所がありました。衣料切符がないと手拭も買えない時代で商品自体も少なかったのです。(略)

砂糖が自由販売になったというのでショーウインドウにただ砂糖をボタ山のように飾ったりした(誰かがくすねるので山が崩れ、張り子にしなければならなかった)時代は終わりつつありました。

“ショーウインドウに、砂糖の山を飾る”って、今の伊勢丹の凝りまくったバレンタインからは想像しにくい状況です。参考までに敗戦直後の伊勢丹周辺を貼っておきましょう。新宿駅だってこんな感じなんですよ。向こうが丸見え!

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マッカーサーが見た焼け跡』(文藝春秋

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マッカーサーが見た焼け跡』(文藝春秋)に加筆

▽引いてみたところ。新宿が、たいらです…

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マッカーサーが見た焼け跡』(文藝春秋)に加筆

“豊かな戦前”が、冷凍保存されていた伊勢丹

敗戦後メチャクチャになっていた新宿ですが、「戦災を免れた」伊勢丹の倉庫には戦前の豊かさが保存されていました。戦前の舶来雑誌だの、戦前のマネキン人形だのがそっくり残っていたのだとか。

ある倉庫には戦前のマネキン人形置き場というか捨て場で、ジョセフィン・ベーカーまがいの金塗りの人形、アーキペンコの彫刻のような流線形の時代離れした人形たちがほこりをかぶっており、それはSF映画スター・ウォーズ」の中古ロボットの奴隷船の中のようでした。

エンサイクロペディアの中に住んでいるようなもので、営繕係の人を別にすれば、私ほどこの建物の隅から隅までを家ネズミのようにもぐり廻って楽しんだ人間もいないでしょう。(『父の時代 私の時代』)

外は新宿のヤミ市が広がっているけれど、伊勢丹の倉庫には戦前のドリームが詰まっているという、このギャップよ…。『父の時代 私の時代』を読むと、堀内誠一が“戦前の豊かなイメージ”を栄養源にして爆進していたことがうかがえます。

【参考画像】戦前のマネキンの様子です。デパートを舞台にした小説(獅子文六『青春売り場日記』)で、マネキンを運んでいるところ。

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「主婦之友」昭和12年5月号

以上、堀内誠一が勤めていた頃の伊勢丹でした。いかがでしたか。

ちなみに伊勢丹に通勤していた頃の住まいは「川崎の競馬場近くの焼け野原に立っていた引揚者アパートの一室」。天井がなく、雨漏りもひどかったそうです。堀内誠一に限らず、美しいものに敏感な若者たちが、焼け野原の日本でどうやって心のバランスがとっていたのか、不思議でなりません。脳内を満たす美しいイメージと、貧しすぎる日本とのギャップ。その落差が戦後の文化を産んだのかもしれないけれど…。

別の機会に、堀内誠一と同世代のCMディレクター杉山登志(30代で命を絶つ)についてもふれてみたいと思います。

▽「大家さんと僕」の大家さんは、伊勢丹で10代の堀内誠一とすれ違っていたかもしれません。

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「銃後のハナ子さん」その2  産めよ殖えよ

先日、戦中の漫画『銃後のハナ子さん』の誕生エピソードについて書きました。本日はその続き、『銃後のハナ子さん』の時代背景です。

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「日本一の子を作れ」特集と、『銃後のハナ子さん』

『銃後のハナ子さん』は戦時中、「主婦之友」に連載されました。「主婦之友」昭和14年6月の特集はズバリ「日本一の子を作れ」(!)。その号の『銃後のハナ子さん』をご紹介しますね。

▽こちらはハナ子さんの婚約者「五郎さん」と、ハナ子さんのお父さん。 五郎さんはお義父さんに結婚式を早めるように頼んでいます。いつ出征してもいいように、ということなんでしょう。(※お灸をこういう用途に使ってはダメですよ・笑)

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▽これはオチのコマ。婚約者の五郎さんに内緒で「オムツ洗いの予行演習」をしていたハナ子さん。結婚式を早め、さらに「オムツ洗いの予行演習」もしておく。段取り良し!

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銃後のハナ子さんの時代背景「東亜に満てよ」

上記の「お灸」&「おむつ」が出ていた号(「主婦之友」昭和14年6月)の別ページはこんな感じ。「産めよ 殖えよ 東亜に満てよ!」。 人気漫画家がモダンな産院をレポートしてます。

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「主婦之友」昭和14年6月 漫画:近藤日出造

立派な働きができなければ、生まれなかったと同じ?!

上記の産院めぐりは“愉快な漫画ルポ”の体裁をとっているけれど、巻頭には厚生大臣廣瀬久忠)の、愉快じゃないお言葉が。

これからの日本では、いわゆる長期建設、東亜新秩序の建設を実現するために、いろいろな事業を盛んにしなければならないし、大陸へもどしどし人を送らなければならない。そのため沢山の人数が要る。どんなに沢山の人があっても多すぎるということは無い。だから1人でも日本人を殖さなければならない。1人でも多く子供を産まなければならぬ。(略)

たとえ育ったとしても、その人が世の中に出て立派な働きができなければ、生まれなかったと同じ、と言っては悪いかもしれぬが、生まれて育った意義が少ないと思う。(「主婦之友」昭和14年6月)

 「立派な働きができなければ、生まれなかったと同じ」って!!ひどいー

強い子を育てる義務

▽こちらは「主婦之友」昭和14年9月号の広告。パッと見かわいいけれど、「あなたのお子さんが虚弱体質で人生の落伍者にならぬよう」と、圧をかけてくる。(他の記事にも「人的資源拡充強化」「強い子を産んでご奉公」みたいなあからさまな文字がおどっていてドキドキ…)

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「主婦之友」昭和14年9月 

アジアに満ちていくイメージ

こちらは「主婦之友」昭和14年4月号。“東亜に満てよ”感が横溢ですな。以下、抜粋します。

亜細亜の目覚め ああ聖戦のゆくところ 王道ありて楽土あり 「東洋人の東洋」を光あらせよ、来たらせよ

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「主婦之友」昭和14年4月

▽美しき半魚人。建設日本、海洋日本!

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「主婦之友」昭和14年9月

▽晴れやかに突き進むこの感じ。アマプラの「高い城の男」を連想してしまう。

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『銃後のハナ子さん』から、『アトミックのおぼん』へ

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「主婦之友」昭和14年9月

以上、『銃後のハナ子さん』とその時代背景でした。おっとり「銃後」を守っているかのように見えるハナ子さんですが、同じ誌面には“殖えろ”だの、“産んだからには強く育てろ”だの、ご時勢の圧がヒシヒシと。

ちなみに『銃後のハナ子さん』の作者・杉浦幸雄は、戦後『アトミックのおぼん』という女スリの漫画を描いています。“銃後の健気な婦人”から“豪快な姐御”へ。これまた戦中・戦後の振れ幅が大きいですね!

戦争が終わって、言論が自由になったので、待ってました!とばかり飛びついてかいたの私流のカルメン、それがこの『アトミックのおぼん』なのです。私のカルメンは、戦後の焼け跡の闇市の徒花として生まれました。(『アトミックのおぼん』あと書きより)

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『アトミックのおぼん』杉浦幸雄 小学館文庫

▽参考:「銃後のハナ子さん」が掲載されていた主婦之友は、昔から「産めよ殖えよ」といっていたわけではなく、日中戦争の開始前までは「セレブ大好き、オシャレ大好き」みたいな雑誌でした。

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「銃後のハナ子さん」その1 轟夕起子とハナ子さん

轟夕起子をモデルにした漫画「銃後のハナ子さん」

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引用元:日活サイト

市川崑監督の『青春怪談』(昭和30)で、丸々としたお母さん役だった轟夕起子。垂れ目で天真爛漫で、本当に可愛かった。

しかしその十数年前、彼女はとっても細かったのです。戦前〜戦中の「主婦之友」を何冊か持っていますが、もう、あちこちのページにスリムな轟夕起子が…。ファッションから髪型、いろいろな対談、美容体操まで!すごい人気。

私は『青春怪談』のふくよかな轟夕起子しか知らなかったので、ずいぶんとビックリしました。

www.nikkatsu.com

「銃後の花」から「銃後のハナ子さん」へ

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杉浦幸雄の漫画交友録』昭和53年/家の光協会

若い頃の轟夕起子にヒントを得て生まれた漫画が「銃後のハナ子さん」です。 戦中から戦後にかけて十数年間連載が続きました。作者・杉浦幸雄のエッセイから漫画誕生のいきさつを引用しますね。連載漫画のキャラ設定に迷っているとき、轟夕起子を見て「これだ!」とひらめいたとか。

まず、どんな主人公を作るか、これが問題です。今の人はこれを「キャラクター作り」といっていますがね。そりゃ、もう、ああでもない、こうでもない、と考えたものです。

それでもなかなか良いキャラクターが定まらず、困りながら、ある日「爆音」と言う日本映画を見ました。田坂具隆監督、小杉勇轟夕起子主演の田園ものの、小品ながらなかなか良い映画でした。ことに主役の轟夕起子さんが素晴らしいのです。紺のもんぺ姿がいかにも清楚で、可憐で、魅力的で、現代ならさしずめ大竹しのぶさんといった感じで、しかも軍国時代にふさわしい凛々しさがあります。これだ、これだ!と決心して、映画を全部見終わらないで、途中から飛び出して、早速うちへ帰ってキャラクターをつくりました。

題名は、戦争中で「銃後の花」という言葉が流行していたので、それからヒントを得て「銃後のハナ子さん」と決めました。(『杉浦幸雄の漫画交友録』昭和53年/家の光協会

昭和53年のエッセイなので、轟夕起子をたとえるのに“大竹しのぶ”を出していますが、愛される清楚なスターということなんでしょう。

漫画「銃後のハナ子さん」は、昭和18年轟夕起子主演で映画化され大ヒット。漫画もベストセラーで、作者の杉浦幸雄小石川区(現在の文京区)の多額納税者になったそうです。「ハナ子さん」と轟夕起子の効果、すごい!!

銃後のハナ子さん、「スフ」を洗濯する

こちらが実際の「銃後のハナ子さん」です。お鼻の丸いところや、垂れ目が轟夕起子っぽい?「主婦之友」昭和14年6月号より。

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「主婦之友」昭和14年6月号

▽拡大画像。ハナ子さんがスフ入りの服を、洗濯でボロボロにしています。国策で布にスフ(ステープル・ファイバー)が入っていた時代。

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「主婦之友」昭和14年6月号

▽その頃、獅子文六も「スフ」ネタを連発していました(笑)

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▽同じく昭和14年、手編みセーターの記事の轟夕起子。綺麗ですね!「スフ」入り毛糸を使う際の注意書き有り。

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「主婦之友」昭和14年9月号

 以上、若い頃の轟夕起子と「銃後のハナ子さん」さんの関係でした。

漫画は(一見)ほっこりしているし、轟夕起子のセーター姿は可愛い。でも「銃後のハナ子さん」というタイトルが示す通り戦時中なのです。

次回は「銃後のハナ子さん」の時代背景をご紹介します。スフを洗ってるハナ子さんと同じ号の特集記事のタイトルが「産めよ 殖えよ 東亜に満てよ」だったことなど…。つづく

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▽映画「青春怪談」の原作について

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シティポップと焼け野原(その2)【1985年の日本】

1985年を軸にして考えてみる

先日、「シティポップの生まれた時代は、意外と焼け野原に近い」と書きましたが、今日はその続き。敗戦から40年目の1985年を軸にして考えてみたいと思います。

「1985年8月15日」発売のムック

 シティポップを聴くかぎり、1980年代の日本は敗戦とも飢餓とも無関係。すっかりアーバンに復興しています。とはいうものの、中高年の脳みそには敗戦の記憶がしっかり残っていました。これは1985年に出た『ニッポン40年前』(毎日新聞社)というムック。アメリカ人が撮影したカラー写真をもとに、1985年から「40年前」を振り返る写真集です。表紙の少年少女たちがターゲット層なんでしょうね。彼らは1985年に40代後半〜50代です。今のムックでいうと『昭和50年男』みたいな感じ?

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「あなた」がうつっている写真集

『ニッポン40年前』の巻頭にはこう書かれています。

もしこの写真集の中にあなた自身の姿が写っていましたら 毎日グラフ編集部宛にご一報ください。その写真を実費で焼き増しして あなたにお送りしたいと思います

 「写真を実費で焼き増しして あなたにお送りしたいと思います」という一文からわかる通り、これって歴史をお勉強する本じゃないんですね。1985年の中高年に向かって「ほら、ほら、つい昨日のことのようでしょう?なつかしいでしょう?」と語りかけているのです。

▽中をめくると、ボロッボロの服を着た子供がたくさん。この子たちも1985年には40〜50代。

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「ニッポン40年前」1985年(毎日新聞社

進駐軍に群がる子供達。キャプションには「ギ・ミ・チョコ」とあります。ギブミーじゃないところがリアルな感じ。

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「ニッポン40年前」1985年(毎日新聞社

▽子守をしながら木炭バスの燃料を拾う少年。この写真も“歴史の貴重な記録”じゃなくて、ああオレも木炭バスの燃料、拾ったー!みたいな読まれ方だったのでしょうか。

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「ニッポン40年前」1985年(毎日新聞社

▽上野公園に住んでいる家族。子供が2人。冬が心配…。“お茶の水のガケに住む人々”を描いた獅子文六『自由学校(1950)』を思わせます。

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「ニッポン40年前」1985年(毎日新聞社

1985年は、戦争の語り部が「中年」だった

2021年の今、戦争の記憶を持っている人=高齢者です。すでに亡くなっている方も多い。しかし1985年時点では、戦争の「語り部」たちがまだ中年でした。

▽「ニッポン40年前」(1985)対談ページには読者世代の代表、アラフィフの海老名香葉子森本毅郎が。ふたりとも若い!子供の頃に体験した戦中・戦後の苦労をつい昨日のことのように語っています。とくに下町生まれの海老名香葉子の回想は超ハード!彼らは2021年、80代です。

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「 泰葉」と「海老名香葉子」の脳内

 「ニッポン40年前」の対談で、むごい思い出を語っていたアラフィフの海老名香葉子。その娘が泰葉*1というわけです。まさに、このギャップが1980年代。(ほかの例・大貫妙子の父親は特攻隊の帰還兵)。そう、シティポップの時代は、「親」と「子」で脳内の景色がぜんぜん違っていた時代なのです。

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1981年「フライディ・チャイナタウン」泰葉

▽泰葉「フライディ・チャイナタウン」で合唱するLAの人々(2021.11.22追記)

1985年の「中年」対「若者」

 2021年から40年前を振り返ると、大滝詠一君は天然色」(1981)だけれど、1985年から40年前を振り返ると、そこは焼け野原なんです。(イメージ図を作ってみました)

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 つまり1980年代の若者にとって、実家は「戦争の語り部」(親や祖父母)が、常駐している場所、ということになりますわね。

 若者がシティポップを聴いてせっかく良い気分になっているのに、実家には「語り部」が元気にスタンバイしている→若者への説教には必ず戦中・戦後の苦労話を混ぜてくる→若者はそれがイヤでますますシティポップを聴く。

 そんな循環があったのではないでしょうか?(笑)ちなみに1985年、私の身内には4人の「語り部」が健在でした。今は全員いなくなったけれど…

 

 今回ご紹介したムック『ニッポン40年前』(毎日新聞社)は手ごろな価格で買えるので、私は高齢の方にプレゼントしています。悲惨な写真は載っていないから(あえて載せていないのでしょう)、当時のお話をうかがうきっかけにもなります。みなさんもぜひ手にとってみてください。

▽「ニッポン40年前」の広告は、カメラと育毛剤。このムックが決して高齢者向けではないことがうかがえます。f:id:NARASIGE:20210809084817j:plain

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*1:吉田豪「(泰葉は)もっとシティポップの文脈とかで今、評価されていいはずなのに」

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野戦病院・『M*A*S*H 』・獅子文六『やっさもっさ』

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野戦病院と『マッシュ』

2021年8月。新型コロナの感染者が急増し、SNSでは「野戦病院」という言葉をたびたび見かけるようになりました。あぁぁぁ。

そして「野戦病院」を描いた映画といえば『マッシュ』(1970)です!『マッシュ』は、「Mobile Army Surgical Hospital」の略で、 朝鮮戦争を舞台にした外科医のブラックコメディです。原作小説*1では、負傷者が一度に大勢運ばれてくる医療崩壊状態を「ノアの洪水」とよんでいましたっけ…。

▽2021年夏、都民の心象風景?負傷兵を運ぶオープニングです。

youtu.be

わたし『マッシュ』については、映画・小説とも食わず嫌いしていたんですよ。「どうせ、“極東でヤンチャした俺たち😁”みたいなノリでしょ?」と思っていた。

実際映画を見てみると、まぁ、そういう「あぶない刑事」っぽい部分もありました。が、とにかく手術シーンのベラボーな長さと、吹き出す血の量に驚きましたね。あと、外科医役ドナルド・サザーランドの顔幅の細さにも驚いた。

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『マッシュ』と、獅子文六『やっさもっさ』は、同時期を描いている

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画像は松竹の作品データベースより。1953年公開映画


『マッシュ』と同時期の日本はどうだったのか?

実は、それを描いているのが、獅子文六の『やっさもっさ』だったりします。『マッシュ』と『やっさもっさ』ではイメージが違うから、とても同時期に見えないけれど。

『やっさもっさ』は1952年(昭和27)、新聞に連載された小説。「国は破れ、山河とパンパンだけが残った」横浜が舞台です。

一方、映画『マッシュ』は、時代設定こそ1951年ですが、制作は1969年・公開は1970年。つまり、ベトナム戦争の真っ最中。監督のロバート・アルトマンによれば、観客を“現在進行形のベトナム戦争”と混同させるために、あえて朝鮮戦争の要素を薄くしたのだとか。*2

そのせいか、『マッシュ』の俳優陣に1950年代感はありません。どう見たって、1970年っぽい髪型とメイクなんです。

だから1953年公開の『やっさもっさ』と、1970年公開の『マッシュ』が、同時代に見えなくても仕方ないですよね?!

とはいえ、『やっさもっさ』では「朝鮮の戦線で大負傷」した兵士が横浜の病院に入院しているし 、横浜のパンパンが代筆屋に頼む手紙の宛先は「朝鮮のミスター・ヘンリー・スタンセン」といった調子です。

一方、『マッシュ』には日本の病院が登場し、外科医ドナルド・サザーランドが日本で手術をしています。

このように、両者は同時期の、日本と朝鮮半島の話なんですね。獅子文六の『やっさもっさ』がお好きな方は、ぜひ映画『マッシュ』もあわせてご覧ください。

朝鮮戦争の負傷兵(重傷)は、日本の病院に運ばれていました。

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▽当時の「お・も・て・な・し

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*1:アイキャッチ画像は、角川文庫の「マッシュ」1970年初版

*2:『マッシュ』DVDの制作秘話で監督自身が語っていました。

半裸の昭和

昭和の半裸画像

暑い、暑すぎる!……ということで、今日は昭和の半裸画像(主に男性)を集めてみました。

裸で晩ごはん

▽「貧乏の あからさまなる 夏の宵」という川柳についていた漫画です。実はこういう家がすごく多かったのではないでしょうか?手前は蚊取り線香?お父さんの背中に灸痕。こんな風土だからこそ、わたしら北欧に憧れてしまうんですね。

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昭和5年『浮世行進曲』清水対岳坊

LINEがない時代

▽交信する家族。ふんどし姿のお父さんは肥柄杓を振り、子供はお母さんの湯文字を振って、仕事が終わったことを伝えています。

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昭和3年「現代漫画大観 職業づくし」阪本牙城

街の中の半裸

▽昭和24〜6年。新橋駅前にて。まさにホームのすぐそばです。

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1985年「ニッポン40年前」毎日新聞社

▽昭和25(1950)、半裸の青年。両サイドの人は地下足袋。 457 - summer50 - Sendai | NorbFaye | Flickr 

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▽昭和37(1962)。横浜の魚屋さん。

PHOTO BY R.L.HUFFSTUTTER, 1962, YOKOHAMA

お仕事と半裸

▽昭和24(1949)仙台。歯が白い!

https://www.flickr.com/photos/norb_faye_lang/3854101488

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▽風呂桶屋さん

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作家も半裸

昭和8年、作家も半裸。鎌倉の別荘での大下宇陀児(おおした うだる)氏。井戸の水くみ中です。

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昭和8年9月 新潮社『日の出』

若い子より、オジサンの方が露出度高い

▽昭和31年サザエさん。同じ巻では、波平サンも半裸で庭の手入れをしています。オジさんの半裸って被写体になりにくいけど、かなり存在したと思う。

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引用元:サザエさん朝日新聞社文庫16巻

 以上、昭和の半裸でした。最近は、昭和の街並みを模したテーマパークや飲み屋街があるけれど、半裸の人達までは再現しないでしょうね(笑)

▽ポールジャクレー「オウム貝、ヤップ島」(1958)。この絵より今の日本の方が暑いですよ、きっと!

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