佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

原宿にあった「海軍館」と、『なんとなくクリスタル』

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海軍思想を広める施設「海軍館」

かつて原宿に「海軍館」という施設があったのご存知でしょうか?場所は東郷神社の脇で、ビームス原宿の向かいあたり。

堀内誠一の自伝『父の時代 私の時代』に、海軍館の描写があったので引用してみますね。ジオラマや食事など、子ども心をくすぐる仕掛けが詰まっていたことがうかがえます。

父の時代・私の時代 わがエディトリアルデザイン史

東郷神社の境内に海軍館という戦争博物館ができました。(略)海軍館には大きな水槽に潜水艦の断面を見せた模型が入っていて、どのように海水をとり入れて潜航を始めるか、浮上の時は圧搾空気がどのように海水を排除するかが解るものや、子供が飛行機を操縦したような気になれる乗物装置、海戦のジオラマなどが沢山動いていました。

おまけに地下の海軍食堂では、食器に全部、錨(いかり)のマークが入っていて、潜水艦の乗組員と同じというコンパクトな食事まで味わうことができたのです。私にとっては、学校から団体見学があると、これらの模型装置を父が作っているということが自慢でした。*1

▽こちらは昭和16年の『幼年倶楽部』より、東京原宿の海軍館を見学しているところ。堀内誠一昭和7年生まれなので、ここに描かれている子供たちとほぼ同世代でしょう。

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昭和16年6月 講談社『幼年倶楽部』

▽海軍館の外観はこんなかんじでした。どっしり。

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『海軍館大壁画史』昭和15年 海軍館壁画普及会

▽これは海軍館が完成した昭和12年の雑誌から。 「海軍思想と海国精神の普及を目的として一昨年来東京原宿に新築中の海軍館はこのほど完成、5月27日の海軍記念日を期して一般公開を開始した」。

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『ホームライフ』昭和12年7月号 大阪毎日新聞社

▽海軍館に展示されていた絵画については、こちらもぜひご覧ください。

narasige.hatenablog.com

 

戦後の海軍館

そして敗戦。海軍館はどうなったかというと、原宿にあった社会事業大学が使っていたんですね(公式サイト年表)。大学は1989年に郊外へ移転しており、海軍館の跡地は原宿警察署になっています。

そういえば私が小学生の頃に通っていた塾は、“原宿の社会事業大学”が会場でした*2。つまり、私は知らないうちに海軍館のそばを歩いていた可能性があったのです。しかし、そのへんの記憶がボンヤリしていて残念…。(もっとも塾帰りにキデイランドに寄ることしか考えていない小学生が、古い建物に興味を持つわけがありません)

海軍館のお隣に、女子学生会館ができた

先日、南青山の老舗「ビリケン商会」様(私が作ったZINEを扱っていただいてます→□)の三原ミミ子さんに、“海軍館についてご存知ですか?”と何気なくうかがったところ、三原さんはご親切にも、原宿で長く仕事をされている方にお話を聞いてくださったのです。その方は海軍館のご記憶はなかったものの*3、付近にあった「東郷女子学生会館」をすぐに思い出されたとか。

▽そして、これがその「東郷女子学生会館」。そびえたつ女学生会館の右側をご覧ください。見切れているのが海軍館!カラーの海軍館にビックリです。こんな感じで建っていたんですねえ。(この写真の存在も三原ミミ子さんから教えていただきました)

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ジャパンアーカイブスより「東郷神社・東郷女子学生会館」

クリスタルと海軍館

さらに東郷女子学生会館を検索していたら、あの『なんとなくクリスタル』(1980年 田中康夫)に出ている、との情報を発見。さっそく『なんクリ』を購入してみると、たしかに「神宮1丁目にある」女子学生会館が登場しているではありませんか。

昨日の晩、私は江美子と一緒に六本木のディスコ遊びに出かけた。江美子は、原宿にある女子学生会館に入っている。

『なんとなくクリスタル』の名物、注釈集には「外泊する場合には、外泊先の証明書が必要になります。 地方に住む両親は、これで安心しているのですが、“法の抜け穴”というのは、考えればいくつかあるものなのです。」などと書かれていました(笑)

ああ、「海軍館」と『なんとなくクリスタル』が、隣りあっていたとは!時空の重なり具合にクラクラしてしまいます。(しかし、1980年の「地方に住む両親」の中には、“おや、女子学生会館は「海軍館」の隣じゃないか。子供の頃にジオラマ見たなあ。この周辺なら娘を預けても安心👍”なんて思う人がいたかもしれません)

まとめ

以上、「海軍館」のご紹介でした。2022年4月、世界は大変なことになっています。もし原宿に行く機会があったら、ぜひ 現在・過去・未来に思いをはせてみてください。このエリアにある和田誠記念文庫も、おすすめです。

▽敗戦から『なんとなくクリスタル』までは35年。2022年からふりかえると、焼け野原とクリスタルはけっこう近い。

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【参考】

便利なアプリ「東京時層地図」を使うと、まず海軍館が建ち、そのあと東郷神社やその他の建物がどんどん出来ていく様子がわかります。(※東郷女子学生会館は建物の形だけが記載されていたため、神社関係の施設かと思っていました)

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引用元:東京時層地図(昭和戦前期)

▽時間の重なりといえば、有楽町の日劇もすごいんです!(現マリオン)

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*1:堀内誠一の父親は図案家でしたが、海軍館や鉄道博物館の模型も手がけていました。

*2:泉麻人氏も、塾の会場が社会事業大学だったとか。「小学5、6年生だった当時、日曜日に通っていた進学教室の会場が東郷神社の隣の日本社会事業大学(現在、原宿署がある)のキャンパスだったのだ。」

泉麻人が綴る、原宿・表参道「オシャレカルチャー」変遷史 | 人生を豊かにする東京ウェブマガジン Curiosity

*3:海軍館については“あのあたりに鬱蒼と木が茂っているところがあった”という印象だそうです。

和平運動秘話「揚子江は今も流れている」

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「頭のいい連中や、落ちついた連中」の日中和平運動秘話

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私が「TENET(テネット)」を見たときの感想は、「戦争を阻止しようとする青年たち…。よくわからないけど、とっても大変そう」という、きわめてボンヤリしたものでした。

 

今回ご紹介する『揚子江は今も流れている』も、「戦争を阻止しようとする青年たち…。よくわからないけど、とっても大変そう」な内容です。作者の犬養健は、安藤サクラのお祖父さん=犬養毅の息子。

獅子文六が、この本を“「頭のいい連中や、落ちついた連中」が戦時中、密かに行なっていた和平運動の話”として推していたので(「中国のこと」/「獅子文六全集14巻」朝日新聞社496頁)読んでみました。

 

寝そべりがちな登場人物

では、私なりに『揚子江は今も流れている』を、浅くボンヤリと紹介しましょう。この本の特徴の1つとして、登場人物がベッドやソファでぐったりしがちなことがあげられます。(そこ?)

大切な相談も、意外と寝転びながらしてるんです。秘密の任務をこなす人たちは、身も心も消耗するんでしょうね。例えば横浜のホテルニューグランドでのシーンはこんなふう。

私も康*1につき合って、隣の寝台の上に寝ころびながら康の目を覚ますのを待っていた。(略)

 

康と私は仰向けになったまま、懸案になっている日本軍の撤兵、領土と賠償要求、治外法権の撤廃などの問題を、順序構わず雑談のような形でゆっくり話し合った。(略)

 

私は良い機会でもあるし、双方が寝転んで気持ちもゆったりしているので、友情として本心を打ち明けた。もしも華北が第二の満州のようになってしまって、このまま日本の軍事力の下に置かれる特殊地域になりそうだというならば、君は潔く和平運動から手を引くがよい。

といった調子ですから、ついサンキュータツオさん(広辞苑に「BL」を入れた辞書芸人)が、頭をよぎるのでした。

舞台は、憧れの名建築

そして特徴の2つめは、憧れの名建築が登場すること。もっとも、秘密の任務をおびた人たちは、名建築でもウットリしていられません!

バラが有名な洋館で毒殺されそうになったり、ホテルに泊まる時は「四階建ての別館全部」を借りきったり(←でも結局、怪しまれて勝手口から夜逃げする)。なんなら『揚子江は今も流れている』をもとにして、「裏・名建築で昼食を 」を作れそうな勢いです。名建築って、戦中戦後の暗部をジッと見てきたでしょうから。


以上、簡単ですが「揚子江は今も流れている」のご紹介でした。世界が大変なことになってる今、和平運動に走り回っている人たちがいること(そして、それが報われること)を信じたい。

おまけ

Fuji-View Hotel

これは富士ビューホテル。『揚子江は今も流れている』には出てこなかったホテルだけれど、参考まで。ナチ戦犯ヨーゼフ・マイジンガーがこのホテルにひそんでおり、占領軍上陸から1週間後に逮捕されたそうです*2。その瞬間も、建物は見ていたはず…。(その後ポーランドに移送され、1947年に絞首刑)

 

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*1:康紹武

*2:『東京のハーケンクロイツ』中村綾乃

漫画に描かれた「欧州大戦」のニュース

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2022年2月末、世界は大変ことになってきました…。今日は、1939年(昭和14)秋の「欧州大戦勃発」をテーマにした漫画をご紹介します。描かれているものをすべて鵜呑みにするわけにはいきませんが、何かしら今と共通する点が見つかるかもしれません。以下の画像はすべて新潮社「日の出」*1昭和14年11月号から。

「欧州大戦勃発」

「ニュース狂」のお風呂屋さんが、富士山の代わりに「欧州戦局要図」とラジオを設置。(ライブビューイング?)。まだヒトゴト感が漂ってます。

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「近代兵器は咆哮する 第二次欧州大戦画報」

同じ号の誌面は、こう。

「波濤高き北海に英海軍と相見えんドイツ新鋭艦隊の威容」「英・仏の陣営を打ち砕かんと一斉に巨砲の火蓋を切ったドイツ砲兵団の精鋭」

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新潮社「日の出」昭和14年11月号

「大戦ファン」

ヨーロッパの地図を広げて大騒ぎ。飛沫がすごいんですけど。

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「興味津々」

夜中までラジオにはり付くお爺ちゃん。「今夜あたり臨時ニュースがありさうだ」「お爺さん、いい加減に寝なさいよ、3時ですよバカバカしい」。

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「事変が第一」

井戸端会議の話題も、日中戦争<欧州大戦。「ドイツが勝つのイギリスがどうのって。何いってんだい。ウチの良人(ひと)は、今支那と戦ってるんだヨ」

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街頭テレビならぬ、街頭ラジオ?

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「このごろの衝突」

新聞の号外売り同士がゴッツンコ。「わあツ、衝突だあいツ ウーン」「ヨーロッパの衝突だよツ ウーン」

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▽そして同じ号の巻頭カラーはこんな感じ。「支那大陸に正義の戦(いくさ)をすすめている日本軍」の図…

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以上、「欧州大戦」のニュースをめぐる漫画をザッとご紹介しました。いかがでしたか?新潮社「日の出」は戦意高揚系雑誌だそうですが、漫画は多いし、獅子文六の連載(例『虹の工場』←蒲田の軍需工場をめぐるラブコメ)はあるしで、私は何冊か持ってます。

▽時代の急変について冊子を作りました。興味のある方はご覧ください。

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今使っているアイコンの話・満州のお宅訪問記事など

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私は2年くらい前からTwitterInstagramのアイコンにこの絵を使っています。原田治みたいな太い線で見やすいし、何より可愛い。でも、この絵っていつの時代に描かれたのか、わかりにくくないですか?今日はこのアイコンについてお話しします。

▽ためしにCanvaで合成してみました。架空のグリーティングカード

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80年以上前の広告から

実はこのアイコン、けっこう昔の広告から拝借しています。1940年(昭15)の「婦人之友」に掲載されていたので、82年前ですね。理研のビタミン剤の広告です。

「牛乳飢饉 バター不足」

ビタミンAの豊富な牛乳やバターの不足から、前の大戦中にドイツでは結核患者や虚弱体質が激増しました。

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婦人之友昭和15年4月号

広告には「牛乳飢饉」、と強めの言葉が使われていますが、昭和15年4月の誌面にはまだ余裕が感じられます。『婦人之友』のキモである“収納上手の清らかなお家拝見”みたいな記事もあるし。今と違うのは、取材先が「新京(満州の首都)」の邸宅だというところです。

満州の「家持上手(いえもちじょうず)」な夫人を訪問

こちらは、冒頭のビタミン剤広告と同じ号に掲載されていた「満拓の建築課長中田武氏」のお宅訪問記事。(「満拓」は満州拓殖公社満洲国の開拓、開拓団の支援などをおこなった国策特別会社

たった16坪の中にでも、住む人の心がけと工夫次第で、こんなにも美しい豊かな生活を営み得ると言う意味で、ひとり満州に限らず、新時代の住み方について私どもに大きな示唆を与えられます。

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婦人之友昭和15年4月号

▽大きな観葉植物、洒落た椅子…。整理整頓系YouTuberの元祖みたいなお家です。記事は、このように美しく生活する人を「家持上手(いえもちじょうず)」と紹介していました。

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婦人之友昭和15年4月号

大日本帝国の各地には、北から南まで「家持上手」さんが一定数存在したはず。戦中戦後を生き延びるにあたって、「家持上手」のスキルは有利に働いたのでしょうか。それとも敗戦の大混乱の中では、そんなスキルより「運」がすべてを支配したのでしょうか?気になるところです。

怖いループ

最後に、早川タダノリさんの有名なtumblr(「虚構の皇国」)をご紹介します。冒頭の「牛乳飢饉」のビタミン広告から4年後、昭和19年理研ビタミンです。絵はたぶん同じ人が描いていると思う。かわいい絵と、内容のギャップがすごいですね!

https://kyokounokoukoku.tumblr.com/post/56434789482/%E5%83%95%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%A8%E5%85%84%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E4%BB%87%E3%82%92%E8%A8%8E%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%81%99%E5%B0%91%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BD%93%E4%BD%8D%E3%82%92%E5%90%91%E4%B8%8A%E3%81%9B%E3%81%97%E3%82%81%E3%82%8B%E7%B3%96%E8%A1%A3%E7%90%86%E7%A0%94%E3%83%93%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3%E7%90%83%E5%BA%83%E5%91%8A%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8

kyokounokoukoku.tumblr.com

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輪タク・人力車の時代

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敗戦から数年頃のカラー写真を見ていると、人力の乗り物=輪タク・人力車がけっこう目につきます。今日はそんな輪タクや人力車の写真をご紹介しましょう。

泣きながら「輪タク」に乗った桑沢洋子

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笹本恒子写真集『昭和・あの時・あの人』より「桑沢洋子(服飾デザイナー)」

まずはじめに、桑沢洋子桑沢デザイン研究所東京造形大学の創設者)が泣きながら「輪タク」に乗ったエピソードを引用させてください。「輪タク」とはどういう存在だったのかがわかると思います。

MUJI BOOKS 人と物10 桑澤洋子』より
輪タク」というのは戦後、自転車のリヤカーを人力車に仕立てたもので、敗戦の街の人たちの足としてたくさん出回っていた。おそらく戦争で帰ってきた男や戦災で家を焼かれた人たちが選んだ職業だったのだろう。私はこの「輪タク」を見るだけでも悲しい思いだったので、それに乗るなんてよほどのことだったのである。

輪タクの男は、見たところきゃしゃな体つきの若者であった。まだ復興も遅遅としていた下町のわびしい街を、男は私を乗せて走った。 走るといってもその速度は歩くのと同じぐらいに遅かった。下町なので急な坂は無いのに、ちょっと傾斜した道にくると、彼ははあはあと苦しそうにあえぐのである。(略)

日本は戦争のおかげで何もかもあと戻りしてしまって、あらためて出直さなければならないのだ…。隅田川の夕陽はだんだんと沈みかける。ついに私はたまりかねて男にそう言った。“私は歩きますよ”と。しかし男は恐縮して私を降ろさなかった。おそらく私の顔は、涙でいっぱいの怒りと悲しみでおおわれていたのだろう。

この時桑沢洋子は、月島の石川島造船所で「通勤着のデザイン・ショウと講演」をしたあと、大急ぎで京橋に向かうために、やむを得ず「輪タク」を使いました。そして泣いてしまった、と。

戦前は雑誌記者として、リッチなお宅の「機能的で素晴らしい台所」を見てきた桑沢洋子。それだけに「焼けあとのバラックの台所」や「戦争のおかげで何もかもあと戻り」した光景はキツかったのでしょう。*1

▽もちろん、気軽に「輪タク」を利用する人も(笑)。おじさんの服には上下ともツギハギがあります。

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引用元:「サザエさん」6巻/朝日新聞社

客を待つ輪タク・人力車

以下、実際の写真をご紹介しますね。すべて元からカラー写真。これは帝国ホテルの脇にズラリと並んだ人力車。

FH000028-090104-22こちらは佐世保輪タクサンドイッチマンも英語の看板を掲げています。“Japan, 1955-59”

2019-05-15-0031千歳基地の「リキシャステーション」“Ricksha station 1953 Chitose Hokkaido Japan”

Ricksha station 1953 Chitose Hokkaido Japan“Hachioji Train Station, 1952” 八王子駅。中央に人力車乗り場。異様に洒落た駅舎だけど、写真にうつっていない部分の空襲はひどかった。総務省|一般戦災死没者の追悼|八王子市における戦災の状況(東京都)

Hachioji Train Station, 1952拡大しました。「人力車・厚生車」の乗り場。右手にカメラを構える男。

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一瞬、外国かな?と思ってしまう写真

横文字が多くて、どこの国かわかりにくいけれど、キャプションには東京1950とあります。背景に「履き物の店」の看板も見える。“Tokyo, 1950”

Tokyo, 1950“Japan 1950”

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兵士と

“1952-54” 皇居付近でしょうか。

Tokyo“1953-54”

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モージャー氏撮影写真資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション(1946年頃)

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▽「ricksha」の列 (『TOKYO JOE』より)

Tokyo Joe : Ed Doughty : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

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そのほかの人力車

“Japan, 1953-54”

2019-08-15-0012“Japan 1950”

2015-10-12-0003“Rickshaws”

Rickshaws“Tokyo, 1948”

Tokyo, 1948

以上、輪タク・人力車の紹介でした。一見のどかに見えてしまう輪タク・人力車の写真。しかし冒頭の桑澤洋子のエピソードを読むと、けっして“車社会になる前の、古きよき光景”ではないことがわかります。敗戦間もない頃のガソリン不足については、以下の投稿もぜひあわせてご覧ください!

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

▽なぜこの時代に、カラー写真が豊富にあるのかは、こちらを。

narasige.hatenablog.com

*1:桑沢洋子は「輪タク」の件で初めて「月島」エリアを通ったのではなく、戦前の月島も知っていました。女流画家を目指していた頃に、わざわざ「月島の工場地帯」を描きに行っていたくらいなのです。「海に行った時、波や岩などの美しさを描くより、漁船のたまり場や貨物船の波止場、魚市場や浜で働く人たちに魅了された。だから築地の渡しや月島の工業地帯や三浦三崎や品川・横浜の船着場へは、よく絵の具箱を持って歩いた。」(『MUJI BOOKS 人と物10 桑澤洋子』より)

獅子文六『おばあさん』と現実のギャップ

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「伝統的家族観」という言葉が、SNSで話題になっていましたね。獅子文六の『おばあさん』も、どちらかというと“伝統的家族”にカウントされてしまいそうな小説です。チャーミングなおばあさんを中心に、3世代がわちゃわちゃしているのですから。読んだ後に「絆♡」みたいな言葉が浮かぶかもしれません。朝日文庫の帯にも「笑えてほっこり、ちょっと泣ける、傑作ホームドラマとありますし。

おばあさん (朝日文庫)

『おばあさん』連載中の3年間、状況は悪化する

では実際に『おばあさん』が連載されていた時の誌面を見てみましょう。『おばあさん』は日米開戦「後」昭和17年2月から昭和19年5月まで「主婦之友」に連載されました。しかし、『おばあさん』の設定は日米開戦「前」。ここがポイントです!現在に例えるなら、コロナ禍のまっ最中に、コロナ直前を描いたコメディを切なく観るような感じでしょうか?

ご存じのとおり『おばあさん』が連載されている間も、敗戦に向かってどんどん状況は悪くなっていきます。紙のクオリティも“チリ紙”っぽくなり、印刷が不鮮明に。

▽ざっくりしたイメージ図

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新年号なのに、まるでサバイバルハンドブック

今回ご紹介するのは、『おばあさん』の連載も終盤に近づきつつある昭和19年新年号「主婦之友」。新年号といえば、少しは華やいでいそうなものなのに、華やかさゼロ。もはや婦人雑誌というより、“サバイバルのハンドブックに、ちょっぴり小説が載っているなあ”といった印象です。※この「主婦之友」は、付録の小冊子じゃありません。コレが本体。

昭和19年新年号の裏表紙と、『おばあさん(朝日文庫)』。

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▽裏表紙拡大。「まず1分間に10杯の目標を定めて4メートルの高所注水を確実に身につけよ。」「あなたは1分間にどれだけの防火活動ができるか」

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新年号の巻頭特集は、「止血」

昭和19年新年号の巻頭見開きページは「空襲下の救護」。新年号なのに…

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 拡大しました。新年号の巻頭が太ももの止血方法って、いやすぎる!!「一滴の血も無駄に失わぬよう」。

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獅子文六『おばあさん』と、現実世界のタイムラグ

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さて、巻頭が「太ももの止血」と同じ号で、『おばあさん』の内容はどんな感じだったかというと……これが別世界のようなんです。

孫娘の結婚式シーンでは、娘の母親が「帝国ホテルあたりで少なくとも200人の招待客」をよびたかったのに、なんて悔しがっていたりして(←セレブですね!)。巻頭の「太ももの止血」と、「帝国ホテル200人」の落差がすごいじゃありませんか。

つまり『おばあさん』の設定はずっと日米開戦「直前」のままなので、掲載時点よりはるかにマシな世界を描くことができたというわけ。3年間の連載中に、『おばあさん』と現実世界のギャップがグッと広がってしまったのです。結果、マッチ売りの少女の幻影みたいな内容に!

おそらく、現代人が『おばあさん』を読むときに感じる「古き良き時代」感や、「ここではないどこか」感は、連載当時の読者の方が、もっと強く感じていたのではないでしょうか。“あア、昔がなつかしい。昔といっても、3、4年前のことだけど!!”と…。

コロナ禍を経験した私たちは、ほんの少し昔(コロナ前)が耀いてみえるこの感覚、ちょっとわかりますよね。

【参考】獅子文六が、『おばあさん』と同時期に書いていた小説『海軍』

narasige.hatenablog.com

『おばあさん』の近刊予告が、「岩田豊雄獅子文六の本名)」の『随筆海軍』と一緒に掲載されている。新潮社の雑誌『日の出』昭和19年の6月号から。

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まとめ「家族と国防」

以上、獅子文六『おばあさん』の時代背景でした。『おばあさん』は、ノンビリした状況で発表された作品ではなかったことがおわかりいただけたでしょうか。最後に、『おばあさん』連載直前に発表された、獅子文六のエッセイを引用してみます。戦中に求められていた“伝統的家族観”がうかがえるかもしれません。

「薩摩女」(昭和17年1月主婦之友)

薩摩という国が、昔から小さな国防国家であったことを、気付かずにいられないのです。夫婦の関係も、親子の間柄も、みんな敵を防ぎ、殿様を守る*1という目的を、中心にして、結ばれていたようです。僕が初めて鹿児島へ行って、大変、新鮮な印象受けたのは、都会人の物珍しさもあったでしょうが、それよりも近頃世間でやかましくいう国防国家体制が、とうの昔に風俗化されている事実に驚いたからでした。古い薩摩女が、どうも、新しい国防婦人のような気がしてならなかったのです」


▽「主婦之友」はもともと、✨キラキラ✨と華美な婦人雑誌でした。ある時期からグッと変わった様子はこちら。

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*1:

『おばあさん』の前に書かれた『南の風』(昭和16)には、主人公の老母(鹿児島出身)が、「男は殿様の盾。女はそれを殿様からお預かりしてる」「わが子を、自分の所有品とはおもわない」と静かに語るシーンがあります。

「ラストナイト・イン・ソーホー」と、学園都市

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元・基地の街で「ラストナイト・イン・ソーホー」をみました

地元・立川市シネコンで「ラストナイト・イン・ソーホー」みてきました!おばあちゃん世代の文化(=1960年代)を愛する少女が、憧れていた時代の“闇”を見てしまうお話です。

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観た後、もし「ラストナイト・イン・ソーホー」みたいに、タイムスリップ体質(?)の日本の娘さんが、1950年代前半の立川に来てしまったらどうなるかなあ」などと想像してしまいました。

たとえば「活気ある昭和のイメージ」を好む女の子が、朝鮮戦争の頃の立川にワープしてきたら。はじめのうちこそ「わあ、外国みたい!」と喜んでくれるかもしれません。はじめのうちは。しかし、立川もなにかと残留思念の街…。すぐにツラくなりそうです。今日はそんな立川ナイトライフを紹介しましょう。

▽なぜこの時代に、立川のカラー写真があるのか?理由はこちらをご覧ください。

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1950年代前半の立川

まずはナイトクラブ「グランド立川」のフロアショーから。Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952

Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952

Grand Tachikawa Floor Show in Tokyo circa 1952

Grand Tachikawa Floor Show circa 1952

「グランド立川」の客席。GIs at the Grand Tachikawa Floor Show circa 1952

GIs at the Grand Tachikawa Floor Show circa 1952

画面中央に「グランド立川」の広告。下には靴磨きが並んでいる。Best Night Club, Grand Tachikawa billboard near Hachioji Station, 1952

Best Night Club, Grand Tachikawa billboard near Hachioji Station, 1952

広告をちょっと拡大。“ゴージャスなフロアショー、200人のチャーミングなホステス”などと書かれています。

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タチカワ ナイトライフ

以下の7枚は、朝鮮戦争の頃に立川基地勤務だった人のサイト(James L Blilie Photos of Japan in 1952 and 1953)から。たとえば、この写真には「タチカワ ナイトライフ」というキャプションがついていました。

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f:id:NARASIGE:20100529112455j:plain▽映画のセットのような。

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▽楽しく踊っているようにみえるけれど、戦争への恐怖でヤケになっている状態かもしれません。立川で長年バーをやっていた方が、朝鮮戦争の頃の様子をこう語っていました。「19歳20歳の、田舎から出てきたような奴らが、もう生きて帰ってこれないかもしれないので、酒を飲んで、気に入りのパンパンに持っている金を全部やってしまう」→詳しくは、朝鮮戦争・聖路加病院・立川基地 - 佐藤いぬこのブログをご覧ください。

f:id:NARASIGE:20100529112504j:plain▽華やかなライトを浴びているのに、もの悲しさの漂う女子楽団。“Officer's Club, Tachikawa Air Base, Smiley's Orchestra”

f:id:NARASIGE:20100529112039j:plain▽基地の入り口。

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▽「Ready to fly to Korea」というキャプションがついていた写真。(ちなみに、立川基地の飛行機を整備する日本人を描いた小説が『フィンカム―米極東空軍補給司令部』です。←整備とは名ばかりで、実際は過酷なトイレ掃除を押し付けられる話)f:id:NARASIGE:20100529112448j:plain

“街の女”を抱える立川と、隣接する「学園都市」

1950年代前半の立川にワープしたお嬢さんは「あれ…?想像していた“活気あふれる昭和”と、ちょっと違うなあ」と思うことでしょう。さらに立川に隣接する「国立(くにたち)」という町の騒動に気づくかもしれません。

今でこそ「国立(くにたち)」は、ドラマやアニメの舞台になる“キレイ”な学園都市ですが、自然にそうなったわけじゃない。「国立」は立川からの影響を考えて、町中がすったもんだの末に「文教地区」となったのです。画像は1951年6月26日朝日新聞

「学園都市か“町の繁栄か”」「文教地区指定 國立町で鋭い対立」

同町はおびただしい“街の女”を抱えている立川市に隣接しており、これらの女性が最近では国立町にまで進出、日本有数の学園都市が台無しになる恐れがある として…

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1951年6月26日 朝日新聞

「学園都市」で乱痴気騒ぎ

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立川のとなり町=国立(くにたち)が文教地区になったプロセスは、国立市が冊子『まちづくり奮戦記』にまとめてます。

国立に多くの米兵が来るようになったのは、1950 (昭和25)年の朝鮮戦争の折で、大量の兵士が駐留するようになったからでした。

立川基地に駐留している米兵が女性を連れて国立地区の飲食店や旅館にやってくるようになったのです。(略)。 やがて、普通の旅館が米兵と女性相手のホテルになったり、下宿屋が学生追い出して娼婦を住まわせ、そこに米兵が通ってくるという事態になります。一橋大学構内では、米兵と女性が人目もはばからず戯れ、それを子供たちが見物するという光景も見られるようになりました。 ホテルなどで深夜まで続く乱痴気騒ぎのため、静かな環境は一変しました。

この冊子は国立駅の復元駅舎(←現在の駅に隣接)に、フツウに置かれています。「ラストナイト・イン・ソーホー」的なタイムスリップお嬢さんも、昼のうちに復元駅舎の資料コーナーでこれを読んでおけば、おおまかな世相をつかむことが可能というもの👍。幻視の解像度はグッと上がってしまうかもしれないけれど…。(映画では、図書館で過去を調べている最中に怖い目にあっていましたね!)


以上、1950年代前半の立川のアレコレでした。いかがでしたか。ちなみに10年経過した1960年代の立川はこちら。ぜひごらんください。

narasige.hatenablog.com

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