佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

物騒な銀座と、オシャレな広告塔

オシャレな広告塔は、いつからあった?

 ここ10年ほど、私の趣味は敗戦直後のカラー写真を見ることです。(進駐軍の子孫と思われる人たちが、[祖父が撮影したアジア]といったカテゴリーでネットにあげている。もちろん進駐軍が撮影する場所は限られているから、戦争の暗部はうつっていません)。

一連の写真で、以前からナゾだった点がありました。それは銀座に立っている「巴里の街角」みたいな広告塔。人々の服装は地味なのに、広告塔だけが妙にバブリーなんですよ。

▽銀座4丁目交差点の広告塔はこんな感じです。街ゆく人の装いが灰色なのに、広告塔だけ華やいでいる。

https://www.flickr.com/photos/32973040@N03/3165112785/

数寄屋橋にも同様の広告塔を発見。人が沢山いるのに、車が1台も走っていないことに注目!https://www.flickr.com/photos/32973040@N03/3168583931/

 この広告塔はいつ頃からあったのだろう?

ずっと気になっていましたが、先日ようやくわかりました。敗戦の翌年(昭和21)には、すでにできていたらしいのです。『中央区年表 占領と民主化篇』(中央区京橋図書館発行・昭和57)によれば、昭和21年に「京橋・銀座・数寄屋橋の歩道にジュラルミン製の円筒広告塔設置」とのこと。

 でも敗戦の翌年は、まだ「衣・食・住」が壊滅状態ですよね。つまり広告塔は【衣食足りて】→【広告塔が誕生】という順番を経ていないということ?!

▽『中央区年表 占領と民主化篇』より

中央区年表 占領と民主化篇』(中央区京橋図書館発行)

オシャレな広告塔の威力

 では、同じ場所でも広告塔が「写っている」のと「写っていない」で、写真の印象が全然違うケースをご紹介しましょう。

▽【オシャレな広告塔+焼け残った着物+焼け残ったビル】。妙に華やかで、つい「なんだ、戦争はたいしたことなかったのか」と錯覚をしてしまう写真です。進駐軍用の標識に書かれている「Z  AVE」は晴海通り、「5TH ST」は外堀通り

https://www.flickr.com/photos/32973040@N03/3165115501/

▽一方、これは上の写真とほぼ同じ場所・同時期に撮影されたもの(撮影者も同じ)。左の見切れた部分に広告塔があるはずです。広告塔がうつりこんでいないと、「敗戦国民が迎えたきびしい冬…」といった雰囲気ですよね。印象が大違い。https://www.flickr.com/photos/32973040@N03/3078420354/

 ちなみに、空襲で焼けた歌舞伎座明治座は、敗戦から5年は閉じていました。資材を運ぶガソリンも不足しているので、「敗戦→すぐに復興」とはいかないのです。でも広告塔ならば建物よりはサッと作れるだろうし、インスタントな“賑わいの創出”が期待できそう。

歌舞伎座明治座の復興エピソードはコチラ

narasige.hatenablog.com

物騒すぎる銀座

 今回紹介した『中央区年表 占領と民主化篇』には、敗戦直後(昭和20-24)の混乱エピソードが目白押しで、とにかく銀座の治安の悪さに驚かされます。まず「衣・食・住」がグチャグチャだし、やれ強盗だ、やれ殺人だ、飛び降りだ、と、かなり物騒なのです。そのせいか、この本ではあの「下山事件」(昭和24)でさえアッサリした扱い。

下山国鉄総裁、乗用車で国鉄本庁に当庁の途中 日本橋三越に入ったまま行方不明となる

たったこれだけ!国鉄総裁が怪死した昭和の大事件も、一般の事件と同じように書かれています。

 わたしは最近、「体感治安」という言葉を知りましたが、この時期の銀座の治安も相当なものだったらしい。いや、物騒だったからこそオシャレな広告塔で夢を見たかったのかもしれません。

narasige.hatenablog.com

【チャラ男はインフルエンサー】獅子文六『売屋』

 最近、お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」を知りました。チャラ男1人にギャル2人という設定のグループです。

 私はお笑いをよく知らないけれども、けっこう動画を見てしまった。特に「チャラ男」役の人には、博多大吉先生的な何かを感じました。

獅子文六の短編『売家』と戦中のスローガン

 さて、戦時中の【チャラ男とギャル】(的な存在)*1のかけあいを読めるのが、昭和の人気作家・獅子文六の『売家』 *2です。(獅子文六全集11巻/朝日新聞社

 

 戦時中はなにかとスローガンがあるけれど、『売家』はチャラ男がそれをギャルに解説してあげるお話。つまり、チャラ男が(いま防衛省が探しているという噂の)インフルエンサー役なんですよ。

【参考画像】「臣道実践」「職域奉公」!

講談社「幼年倶楽部」昭和16年6月号

チャラ男がギャルに講義する「臣道実践」「公益優先」

 短編『売家』に出てくるチャラ男(的な人)は、ニヤケた役者。もともと彼は、女のノロケ話ばっかりしているような男でした。服装も派手で「ゾロリ」としていた。

 ところが、そんな彼が急に「臣道実践」「公益優先」をスラスラ言いだします。しかも「兵隊サンのような」国民服を着こみ、戦闘帽をかぶってウットリしてる。「(国民服は)楽屋でも大流行なんだよ。第一、便利でいいやね」と。

 

 一方、チャラ男の幼なじみであるギャル(的な人)は、「新聞の演芸欄しか読まん女」。世の中の動きを全然わかっていません。

 そこでチャラ男はギャルに、日本がすっかり「新体制」*3になっていることを教えてあげるのです。

ギャルの好きな「資生堂の海老フライ」*4は、もう食べられない状況になっているということも。

 しかし、新聞を読まないギャルには「新体制」がピンとこない。

「いいえ、その、 新体制ってことね、ほんとは、どういうワケなの」

少し羞ずかしかったが、思いきって、聞いてみた。この頃、よく耳に入る言葉だが、彼女には当て推量すらできなかったのである。

 

「 新体制かい?つまり、その、なんだね…公益優先、臣道実践てえことさね。」

チャラ男先生の熱い講義は続きます。

「公益優先、臣道実践」とは「つまり、朝から晩まで、お国のために尽くすことだアね」

「職域奉公」とは「 役者は役者で、米屋は米屋で、炭屋は炭屋で、それぞれお国のために職業に精を出しゃアいいんだよ

 

 ギャルは、「身近な世界に住む人間」=チャラ男の解説で、ようやく時代の急変を理解します。いきなり覚醒した彼女は「お国」に尽くす気まんまんに!愛人からもらった家を売り払い、その金を迷うことなく国に寄付するのでした。(だから、小説のタイトルが『売家』)

 当時の読者は、“チャラ男とギャル”のやりとりを笑いながらも、あらためて「時局を認識」したことでしょう。

▽戦前、ユーモア作家としてデビューした獅子文六。しかし日米開戦の翌年には、敗戦後に「私のことを戦犯だといって、人が後指をさす」*5原因となった小説『海軍』を朝日新聞に連載しています。

昭和17年12月『主婦之友・大東亜戦争一周年記念号』

narasige.hatenablog.com


▽参考:「新体制」を漫画で解説しているケース。「ぜいたくは敵だ」や「買えよ国債」など。(新潮社「日の出」昭和15年12月)

新潮社「日の出」昭和15年12月

▽参考2:NHKアーカイブスより昭和16年6月大政翼賛会の会議記録。「高度国防国家体制は、かかる力強き臣道実践体制の確立によってのみ、初めて実現できるのであります」

www2.nhk.or.jp

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

 

*1:説明の都合上、『売家』の登場人物を雑にチャラ男とギャルにたとえましたが、実はこのチャラ男、(気持ちはすごく若いけれど)設定はけっこうおじさんです。ここがポイント。もしチャラ男が本当に若かったなら、戦場も戦死も身近なわけで、「国民服は楽屋でも大流行なんだよ。第一、便利でいいやね」などと言っていられないはずだし、この短編も成立しないでしょう。

*2:『売家』は書かれた年がわかりませんが、日米開戦が目前にせまった時期の作品と思われます

*3:昭和15年6月、近衛文麿の提唱で、“新体制運動”が始まったが、これは挙国一致を目指す総力戦体制のための政治運動であった。したがって国民の生活や考え方も、戦争完遂のための“新体制”の趣旨に沿うことが要求された。個人主義的、自由主義的な考え方や、贅沢で派手な生活等は“新体制”に反するものであった。」獅子文六全集11巻注釈より。

*4:資生堂パーラー獅子文六のエッセイ『ちんちん電車』によれば、若い頃、友人に「資生堂の息子」がいたためパーラーによく行っていたとのこと。

*5:獅子文六全集14巻「落人の旅」

進駐軍のジープは風のように走る【昭和21年の絵本「ハシレヨ ヂープ」から】

ジープのおもちゃと、ワカメちゃん

 敗戦まもない頃のサザエさんには、“ほっこり”じゃないネタ(住む家のない親子、引揚げの苦労など)も 目白押しです。

中でも印象的だったのがこのコマ…。四角い包みを見たワカメちゃんが、唐突に「ジープだね」と喜んでいる。いくら進駐軍に“ギブミーチョコレート”する時代だとしても、「四角い包み」=「ジープ(のオモチャ)」という連想が不思議でした。(この包みは、ジープじゃなくてネズミ捕り器というオチ)。

引用元:『サザエさん』2巻(朝日新聞社)121頁

昭和21年発行の『ハシレヨ ヂープ』と“仲良しアメリカさん”

 先日、敗戦の翌年に発行された絵本『ハシレヨ ヂープ』(昭和21)を入手して、“ああ、なるほど。これはジープに親しみが湧くだろうなア”とつくづく思いました。当時、こんな絵本を手にとれる子供は限られていただろうけれど。

キモチヨイ ソヨカゼ ヂープガハシル

昭和21年『ハシレヨ ヂープ』石岡とみ緒

▽焼け野原も、浮浪児も存在しない光景。国策のニオイ…?

シンチュウグンノ ジョウヨウシャ キモチヨイオトヲタテ カゼノヨウニハシル

昭和21年『ハシレヨ ヂープ』石岡とみ緒

▽手入れの行き届いた公園と、ジープ。きれいな服を着た子供たちが集まってきました。国をあげての“鬼畜米英”ノリは一体どこへ?(敵対心をあおっていた時代:パステルカラーと、敵対心の醸成【戦時中の婦人雑誌から】 - 佐藤いぬこのブログ

「ハロー」「ハウアーユー」 ナカヨシアメリカサン

昭和21年『ハシレヨ ヂープ』石岡とみ緒

▽真っ白な靴下をはいた子供たちと「ナカヨシ アメリカサン」

昭和21年『ハシレヨ ヂープ』石岡とみ緒

▽でも、実際の光景(昭和22)は、こんな感じだったようです。この写真は毎日新聞社が出していた『ニッポン40年前』(1985年)というムックから。このムックは今でいうと『昭和50年男』的な立ち位置でしょうか。ボロッボロの服を着た子供たち(=40年前のオレたち)のカラー写真がいっぱいです。

「ニッポン40年前」1985年(毎日新聞社

進駐軍の大型バス。“真っ白な広い道 進駐軍のバスが すべるように走る”←カタカナを漢字に直しました。敗戦間もないのに「真っ白な広い道」とは…。

昭和21年『ハシレヨ ヂープ』石岡とみ緒

進駐軍のトラックとジープがいきかう勝鬨橋勝鬨橋の先の「晴海」(月島四号地)*1が接収されていたのです。

昭和21年『ハシレヨ ヂープ』石岡とみ緒

▽『ハシレヨ ヂープ』の作者は石岡とみ緒で、デザイナー石岡瑛子のお父さんです。出版しているのは「日本配給統制株式会社」。

昭和21年『ハシレヨ ヂープ』石岡とみ緒

進駐軍ジープと交通事故

 絵本では、風のように走っているジープですが、実際は悲惨な交通事故が多かったそうです。以下はMPのジープから見た占領下の東京―同乗警察官の観察記より。

取り締まり側のMPが事故を起こし、死傷することも多かった。

事故の1つの原因に道路状態の悪さが挙げられる。モータリゼーションが始まる前の東京の道路には、自動車の交通に不都合に作られているところが多かった。幹線道路にはほとんど都電が走っており、その停留所には必ず安全地帯があった。乗降客を守るためのコンクリートの障害物で、道路の真ん中を塞いでいた。当時の明かりの乏しい暗い夜、特に雨の降る夜などは極めて視認しにくく、フルスピードで疾駆するMPのジープには命取りであった。実際、駐留軍の車両はしばしば安全地帯に激突した。

「当時の明かりの乏しい暗い夜」にフルスピードで走るジープって、危険すぎる。『MPのジープから見た占領下の東京』は、その他にも進駐軍車両の危なっかしいエピソードたくさん。絵本『ハシレヨ ヂープ』とは真逆の世界がひろがっているので、おすすめです!


▽「1985年の中年」は敗戦時に子どもでした。

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

 

*1:中央区年表 占領と民主化篇』巻末の進駐軍接収状況一覧(昭和32年時点)を見ると、晴海町は「提供中」となっていて生々しい

「ビートDEトーヒ」/逃避したくなる時代と、獅子文六

獅子文六と【戦争→敗戦→どん底からの復興】

かまいたち濱家が歌っている「ビートDEトーヒ」。ダンスは可愛いけど、歌詞はけっこう暗いんですね。“ポップなビートで、トーヒ(逃避)したい。つらい現実から目をそらしたい”みたいな内容で。


「ビートDEトーヒ」。

“ポップなビートを利用して、現実から逃げたい”という願い。

同様の願いを、戦中〜戦後と満たし続けたのが、昭和の人気作家・獅子文六だったのかもしれません。

獅子文六がユーモア作家としてブレイクしたのは、40歳代前半。意外と遅いですよね。そしてブレイクしたとたんに、日中戦争がはじまります。

つまり獅子文六の40〜50代は【戦争→敗戦→どん底からの復興】という、かなり厳しい時代と重なっているのです。

ブレイクのきっかけとなったポップな『悦ちゃん』も、(現在は)痛快小説として売られている『おばあさん』*1も、実はノンビリした時代に生まれたお話じゃなかったりする。(人気作『コーヒーと恋愛』は、獅子文六が69歳頃の作品なので、今はいったん脇においておきます)。

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

うすれる戦争の記憶

ところが21世紀になって戦争の記憶がうすれると、当時の“トーヒ(逃避)したい”ニーズは忘れられ、獅子文六の“ポップ”が漉されて残る。

その結果、現代の私たちには、

悦ちゃん』は(226事件から間もない頃の連載なのに*2)ポップ。

『おばあさん』は(日米開戦後の連載なのに)ユーモアいっぱい。

『自由学校』は(占領下なのに)ドタバタ愉快。

といった感じに見えてしまいがち。なので、獅子文六を読むときは、当時の読者の“トーヒ(逃避)したい”願望を、ちょっぴり脳内補完するといいんじゃないでしょうか?

 獅子文六自身も、“私の小説は「時代」が主人公で、登場人物はワキ役”*3としていることだし、ここは「主人公」=「時代」に思いをはせてみたい。

「強者のほがらかさ」と、獅子文六『自由学校』

松竹データベースより

中野翠氏が、獅子文六『自由学校』(昭和25)についてこう書いていました。

こういう、いわば強者(経済的にも知的にも恵まれている階層)のほがらかさが、一九五〇年の日本の大衆に支持されたという事実――。ちょっと不思議な気がする。(筑摩書房) - 著者:獅子 文六 - 中野 翠による書評

私も『自由学校』の強者率の高さが不思議でした。なにしろ主人公は、満鉄副総裁*4の息子でボンヤリ者だし、彼の妻もお嬢様育ち、親族は知識階級という設定なんですよ。敗戦5年目の新聞連載なのに、読者は「強者のほがらかさ」にムッとしなかったのかしら…。

しかし「ビートDEトーヒ」を聴いてからは考えが変わりました。その時代は、きっと「強者のほがらかさ」が、もとめられていたのだと。敗戦国のむごい現実から「逃避」するなら、やっぱり自分とは真逆の人物=【上流階級の昼行灯】にログインしたいじゃないですか!

▽参考画像。焼けた新宿です。逃避したいー

マッカーサーが見た焼け跡』(文藝春秋)に加筆

▽…というわけで、獅子文六の16作品(昭和11年〜25年)を並べた冊子を作っています。ぜひごらんください。

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

 

 

*1:朝日文庫『おばあさん』のカバーには「昭和初頭の家族をユーモア満点に描いた痛快小説」とあります。

*2:悦ちゃん』:昭和11年7月19日〜昭和12年1月15日『報知新聞』

*3:「一体、私の小説では、いわゆる主人公というものが、必ずしも重要ではなかったのである。という意味は、私は五百助や駒子よりも、「時代」を主人公に置いたのである。登場人物はことごとく脇役であり、極言すれば人間ではなく、人形である。」(「一長一短観」『獅子文六全集』第15巻545頁/朝日新聞社

*4:作中では「満州交通の副総裁」

コバウおじさん(고바우영감 )

『マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年 (角川ソフィア文庫)』。韓国の4コマ漫画です。表紙は、2001年に発行された「ゴバウおじさん50周年記念の切手」だとか。

おじさんの服が1950年→2000年と、どんどん変化していますよね。最初の頃の装い(1950年前後)は、意外なほど多くの写真がネット(flickr)にあがっています。いくつかご紹介しましょう。

▽1950年代、韓国や日本を撮影したカラー写真が豊富な理由

narasige.hatenablog.com

“Old Man and Bus, Daegu, 1952”

Old Man and Bus, Daegu, 1952  (corrected)

“Firewood”

Firewood

一連の写真は、朝鮮戦争の戦場写真とともにアップされていることが多い。“Evakuering med helikopter for 7 pasienter (1952)”

Evakuering med helikopter for 7 pasienter (1952)

“Old Scholar, 1952”

Old Scholar, 1952

“1952”

Slides_04_050

“Nov48 - Seoul, Korea”

85 - Nov48 - Seoul, Korea

“Nov48 - Seoul, Korea”

83 - Nov48 - Seoul, Korea

洗濯するのは、女性

以上の写真を、父親の仕事の関係で少女時代を京城(現・ソウル)で過ごした方に見せたことがあります。すると「この服を白くしておくのは、女の人たちなんだから!川で洗濯して、布を棒でたたいて。たいへんよ〜ッ」。80年前の記憶をもとに、洗濯棒(?)の絵を描いてくれましたっけ…。棒の断面は三角形でした。

▽“Washing day,1952”

Washing day,1952

関東大震災とコバウおじさん

『マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年』の中は、こういう感じ。各ページの見開きには解説があり、このページではフランス文学者田辺貞之助の『女木川界隈』 が紹介されています。

『マンガ韓国現代史―コバウおじさんの50年』角川ソフィア文庫

【参考】ちょうど家に関東大震災を描いた漫画がありましたので、貼っておきますね。タイトルは「鮮人騒ぎ」。この漫画集『明治大正史(昭和3)』は、戦争や暗殺も茶化して描いているので、このページについても漂白・脱臭を差し引いて見なくてはいけませんが、参考まで。

『現代漫画大観 明治大正史』(昭和3)中央美術社/田口省吾画

………以上、コバウおじさんの簡単なご紹介でした。一見、絵がサラッとしているコバウおじさん。私には気付けない暗喩なども詰まっていることでしょう。歴史に詳しい方は、グっと高い解像度で読めるはず。ぜひ!

朝鮮戦争野戦病院画像

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

ツルツルしたデパートの戦中戦後

銀座のApple Storeは、とてもツルツルしていますよね。Apple Store*1の向かいにあるデパートが松屋銀座Apple Storeに負けないほどツルツルで、まるでみつ豆の寒天のよう。(※サムネイル画像は2022/10/19撮影)

しかし、そんな松屋にも「ツルツルしていない時代」があったのです。今日はそれを紹介しましょう。

戦時中の松屋銀座

意外なようですが、日中戦争の頃の松屋銀座はツルツルしていませんでした。シャネルの広告の代わりにあったのは、「聖戦大勝」「 漢口陥落」などの垂れ幕です。(『痛恨の昭和』石川光陽より)

「漢口陥落祝賀の飾り」昭和13年(1938)

漢口陥落、武漢三鎮といって、まだ国外で戦争していたので、景気の良い話ばかりが耳に入ってくる頃でした。旗行列や、提灯行列が市内を練り歩き、花電車や、電飾の市電が走って賑やかでした。この調子で行けば、裏長屋にいたものが、表通りに出られるのではないかもしれないといったほどの勢いでした。銀座通りは写真のように飾り立ててお祭り気分で、私は日本も強くものなったものだと感心しておりました。

『痛恨の昭和』石川光陽 岩波書店

narasige.hatenablog.com

敗戦後、日本人が入れない「松屋 PX」に

そして敗戦。三越は空襲で黒コゲになったけれど、松屋は接収されてPX(売店)になりました。

『銀座と戦争』(平和博物館を創る会・編)に加筆

▽PXになった松屋。この写真はものすごくキレイに撮ってあるので、一瞬「あれ?敗戦って、たいしたことなかったのかな?」と勘違いしてしまいそう。御用心、御用心![Matsuya Ginza branch of the Tokyo PX, 1952]

Matsuya Ginza branch of the Tokyo PX,  1952

写真家・師岡宏次の『銀座写真文化史』から、PXになった松屋について引用します。

焼失を免れた和光のビルや、松屋デパートの焼けたビルは進駐軍に接収され、急速に資材を集めて改装し、PXになった。PXというのは日本にきている進駐軍のために、必要な物資を売るところである。ここは厳重なチェックがあって、日本人は入れない。また、ここで進駐軍が買った物資を、日本人がたとえもらっても、もちろん買っても、とにかく持っていることで罪になった。

 しかし「日本人は入れない」はずの松屋にもヒミツの抜け道があったようです。三島由紀夫の『豊饒の海(三)暁の寺』に「松屋PX」が出てくるけれど、米兵を「情人」に持つ女性は堂々とPXに出入りしている。

松屋PXの中には、もちろん本多は入れない(略)。慶子は、紫いろのスーツの胸を張って進み出、顔も隠れるほどの大きな紙袋を両手に抱えたアメリカ兵を従えていた。 情人のジャックかと思われたが、そうではなかった。(略) それは1つの見ものであった。PXの前の群衆は、似顔絵描きをそっちのけにして、口をぽかんと開けてこれを眺めた。

▽引きで「松屋PX」見るとこんな感じ。1952年(昭和27)頃です。右側のすすけた建物は「三越」、画面手前には進駐軍用の標識が。ただよう敗戦国感。Tokyo Ginza, 1952 | Photographer: Captain John Randolph Coup… | Flickr

松屋の側面。「白いワンピース=清楚」のイメージをくつがえす女性が、靴をみがかせています[1951 Tokoyo, Japan]

1951 Tokoyo, Japan

上の写真を拡大してみると、日本人が入れない「P.X.レストラン」の看板

松屋銀座の角で交通整理[1951 Tokoyo, Japan]

1951 Tokoyo, Japan

接収解除後の松屋銀座

 進駐軍の接収解除後「PX」から戻った松屋は、公式サイトによれば1953年(昭和28)に新装開店しています。

▽ちょうどその時期を外国人がカラー撮影したのがコチラ。敗戦から8年ほどで、すでにツルツル。もはや戦中~敗戦の面影はありません。屋上の旗に【松屋のマーク(鶴と松)】が見えますね。[Department Store, Tokyo Japan, 1952-55]

Department Store, Tokyo

【参考】この時期、鮮明なカラー写真が存在する理由。

narasige.hatenablog.com

▽そして1970年(昭和45)の松屋(右奥)。パッと見た感じ、今の銀座とほとんど変わらない。焼け野原から25年でこれって…。[Ginza, Tokyo – 1970]

Ginza, Tokyo – 1970

▽最後にもう1度、日中戦争の頃(1938年・昭和13)の松屋銀座を貼っておきましょう。「聖戦大勝」「 漢口陥落」。漢口は武漢です。

『痛恨の昭和』石川光陽 岩波書店


以上、松屋銀座の変遷でした。ご存じの方も多いと思いますが、松屋には浅草店があります。浅草店もけっこうツルツルだったけれど、現在はあえて昔の外観に戻してレトロを売りにしている。

銀座の松屋だって、皮の下には「過去」が残っているのかもしれません。しかし銀座店は、今後もツルツルのままでいくような気がします。

松屋銀座に限らず、目立つ場所にある建物は時代を反映しがちでした。有楽町の日劇(現在のマリオン)の変遷もぜひごらんください。

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

 

*1:現在は銀座8丁目に移転

オシャレな椅子に“横向き”で座る人たち(『デスノート』・獅子文六『胡椒息子』)

今になって『デスノート(テレビ版)』を見ています。(脇役で、ひいきの俳優が出ていると聞いたもんですから)。「L」は、ソファに“横向き”で座る人なんですね。だるそうなのに、ツルン!と上手に座るからつい感心してしまう。

スポニチアネックス 2015年7月6日より

獅子文六『胡椒息子』と、オシャレ椅子

「L」の“横向き”座りを見て思い出したのは、昭和の人気作家・獅子文六の『胡椒息子』です。

昭和12年8月の連載第1回目では、主人公の姉である金持ち令嬢が、やっぱり横向きに座っているんですよ*1

オシャレな椅子に、横向きでダラっと座る令嬢。舶来のタバコを吸いながら…。しかもこの邸宅には美容院レベルの施設が備わっている。贅沢ですね。

実際、彼女はモダン都市を謳歌し、不良青年と遊びます。読者も、金持ち令嬢を擬似体験できるというわけ✨

▽横向きに座る令嬢。金属をつかったオシャレ家具ばかりの部屋。

『胡椒息子』挿絵(宮本三郎画)/「主婦之友」昭和12年8月号

オシャレな椅子と、昭和初期

『胡椒息子』の連載時(昭和12-13)、すでに金属を使った椅子があるのは意外な感じがするかもしれません。ただ、このテの椅子が誕生した時期は、日本では昭和初期頃に当たるんですって。

▽例:昭和13年、「豪華な近代設備を誇っている」九段坂のアパートです。

『ホームライフ』(大阪毎日新聞社昭和13年8月

▽先日見かけた武蔵野美術大学「みんなの椅子」展(2022・撮影可)。→武蔵美の解説ページ

1930年代から40年代にかけ建築の領域では、装飾や歴史性を廃し万国共通の様式や工法を是とする「国際様式」が勃興します。

『胡椒息子』から消えた令嬢と、日中戦争

さて。“オシャレ椅子に横向きで座る令嬢”に話を戻します。

『胡椒息子』の連載は1年間。序盤での令嬢は、浪費のかぎりを尽くしそうな勢いでした。もはや副主人公といっていいくらい目立っていた。しかし後半、彼女の姿がパッタリ見えなくなります。これは『胡椒息子』の連載開始と、日中戦争 のスタートがほぼ同時だったからではないでしょうか。

▽連載1回目の目次。華やか!

昭和12年「主婦之友」8月号

▽連載4回目の表紙。上の目次と、同じ年・同じ雑誌には思えません!!

昭和12年「主婦之友」11月号

『胡椒息子』の連載がはじまったのは昭和12年夏。この時点で日中戦争のドロ沼化を予想するのはムリ…。しかし時代はグイッと急変します。『胡椒息子』にも、“神社の夏祭りが支那事変の折柄」規模を小さくして行われる”という文が出てくるように。この状況じゃ、令嬢だけがいつまでも贅沢三昧しているわけにはいきませんわね。


「オシャレな椅子に、横向きに座っちゃう浪費キャラ」は、ちょっとだけ、照れくさい(笑)。でも、こういうキャラクターを描きにくくなる時代の再来は、カンベンしてほしいと思うのです。

 

▽日米開戦後に書かれた獅子文六『海軍』については、こちらを。

narasige.hatenablog.com

narasige.hatenablog.com

 

*1:小説中には横向き座りの描写はないけれど「令嬢にあるまじき姿」となっています。「 ホーム・ドレスの裾から、高々と素足の膝を立てて、片手に歯型のついた板チョコを握り、もう一方の手で『ターキー』という雑誌を拡げ、令嬢にあるまじき姿勢を見せている。」

h3 { color: #FFFFFF; background: #000000; padding: 0.5em; } h4 { border-bottom: dashed 2px #000000; } h5 { border-bottom: double 5px #000000; }