吉原の本→を読む。
大勢のお客さんをとると、体が疲れちゃってどうしようもなくなるんです。それで、お客さんに気があるように見せるために、よく、“ふのり”を使ったんです。
(この画像は昭和6年の本から。左「孝行に売られ 不孝に請け出され」。右「売られたは三味線に手の届く頃」という川柳がついていた)
■敗戦を迎えると、吉原には進駐軍兵士が殺到。
そこで働く人も、花魁とはいわず、パンちゃんと呼ぶようになりました。
吉原には「パンちゃん」ではなく、また別の呼び名(平仮名っぽいような、なにか)があるのかと思っていました。
■どこの街かはわかりませんが、とても若いパンちゃん、1948。 ピアノ発表会のお嬢さんのようだ。