■「自由学校」(獅子文六)を読んでいたら「晴海」のことを「4号埋立地」と書いてあったので、少しうれしくなりました。
昔の人ほど、埋め立て地を「4号地」と数字でドライに呼ぶ傾向があるみたい。
ちなみに新庄選手のドリームである豊洲は、かつて5号地と呼ばれていました。(4号地と5号地が、1940年・幻の東京万博→■の予定地だったのです。ということは、その頃からドリームのまま放置されていたのでしょうか?>豊洲)
■「自由学校」での晴海は、“浜離宮から海を見渡そうとしたら「4号埋立地」にはばまれて水平線が見えなかった”という形で一瞬だけ登場。
あれ??
浜離宮から晴海=「4号埋立地」は見えずらいんじゃないかな…と思ったら、
写真の白く囲んだ部分は、「自由学校」連載時(昭和25年)には、まだ埋め立て前。存在していなかったのでした。
だから、まるッと晴海が見えたのですねー。
と、誰も、興味を持たないことを書いてみる。
画像は国土交通省より