流行の力

外国映画で戦中・戦後を描いたモノを見ると、日本のと何か、違う…。戦時下の恋愛を描いていても、平時と同じくらい華があるような気がします。

その原因の1つとして、日本みたいに国民服やモンペが登場してないというのもあるのでは?ほら、国民服が出てくるととたんに、うわあ悲惨、大変そうという感じになるじゃありませんか。

だから国民服は、お洒落さんも時代に合わせて強制的に泣く泣く着ていたのだと思っていましたが、獅子文六の「国民服史」によると、最初はイケてる都会人の間でパアっと流行したらしい。そして急速に、国民服ブームは過ぎてしまったのだそうです。


以下、獅子文六「国民服史」(昭和21年)を要約します。

まず、昭和15年11月 国民服令が出る。当初、"天下りで国民の服を決める"というので評判がよくなかったものの、大日本青年会本部や翼賛会の「兄チャン」は、真っ先に国民服姿になります。翌昭和16年 春のリーグ戦で文部次官が始球式に国民服を着ます。それまではモーニング姿で始球式だったのに!以降「翼賛会の兄チャンの制服」だった国民服を、大人達もどんどん着るようになるのでしつあ。ここから流行スタート!!たった1年の間に広まるのです。

まず翼賛会の「兄チャン」が着る

大臣が着る。

実業家が着用して築地の宴会に出る。

ジャーナリスト、演劇、映画会社など、気の利いた都会人が着る。

地主の息子が国民服を着て芸者遊びをする。

町内の八百屋さんも着はじめ、隣組の男性で国民服を持っていない人は一人もいなくなる。

ところが、昭和18年の4月、東京ステーションホテルの結婚式で国民服姿はたった1人。ついにブームは去り「気の利いた都会人の間に、国民服が見捨てられたいた」。その頃から国民服は、単なる普段着になり、流行的価値は完全に喪失したのです。その後の日本は大空襲の世の中に突入し、もう国民服だろうが、非国民服だろうが、そんなことは昔の問題になってしまった。服装の問題は、シラミを湧かすか湧かさぬか、という点まで来た。のだそう。
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この絵は1975年の雑誌から、美化されまくった国民服イラストです。こんなわけないじゃん…。