バブル以降、日本人は「ニセ外人的な視線」「白人がアマン・リゾートにオリエンタリズムを求めて宿泊するのと同じような感覚」(酒井順子『都と京』より)を、持つことが出来るようになったそうですが、この前放送のNHKアーカイブス「駅の顔」(昭和38年.1963年)は、まだその感覚を持ちにくい時代のものだよなあ、という印象を受けました。
今だったら、「和…ですね!」と絶賛されそうな光景が、暗ーく撮影されていて。日本的なものは、とにかく悲しく、侘びしく、時代から取り残されて本当にお気の毒さま!という捉え方というか。
(一方、明るい希望に満ちた映像は「郊外の新興団地から、サラリーマンとBGが一斉に出勤するシーン」で、笑った。)
- 作者: 白山眞理,堀宜雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/02/10
- メディア: 大型本
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まるで「鈴木京香のオール電化の家に住む谷原章介的な人」が、「和…も、いいんじゃない?タマにはね。」と微笑んでいるような印象なんですよー。
編集している方が洋行帰りの超お金持ちのようだし、雑誌の目的が“外国人に日本の愛らしい面、健やかな面(だけを)「こんな日本、お好きでしょ?」と紹介するものゆえ、当然なのかもしれませんが。
しかしこの雑誌の作られていた時代は、庶民にとって見渡す限り、和でLOHASの世界。ジムに行かなくても腹筋割れていたわけで。
その状況で「Pen」の和特集みたいな視線を持てるって、すごいなぁ。
みごとな腹筋参考画像。こちらから。