*花見への交通手段は、電車なんか使わない!8家族が貸し切りバスで移動。
*花見に参加する子供達はおろし立てのセーラー服に金ボタン。母親達は、錦紗やジョーゼット。
*花見のBGMは、ポータブルプレイヤーにレコードをかけて。
*お花見の弁当の中身は、サンドイッチにローストチキン、クラッカー、チャーハン、かに玉、ソーセージ、シューマイ、にぎり、ちらし、大阪ずし、ウイスキーに、カルピス、サイダー、ビール。
↑↑以上、この豪華なお花見は、高度経済成長期のお金持ちの話ではありません。
長屋にすむ軍需工場の熟練工一家の花見の姿なのです。(「新興花見風景」獅子文六全集11巻)。軍需工場の熟練工は「事変以来、軍需インフレの波と低為替ダンピングの波と、両方が合併して」一気にお金持ちになったのです。
落語の「長屋の花見」では、卵焼き=厚切りのたくあんですが、昭和11年の長屋の住人(工場地帯の熟練工)の花見は、もはや「蒲鉾と卵焼きが植物性ではない」というのが可笑しい。そんな熟練工ファミリーの優美な様子を見ていた会社員の息子が「うちのパパも早く出世して、工場で働くといいね」と言いはなつ。これがオチになっていました。
さて小説はここで終わりだけど、「おろしたてのセーラー服や金ボタン」を着て花見していた熟練工一家の子供たちは、その後どうなったのでしょう。10年たつと20代になっているから、戦争にかりだされヒドイ目にあってそう……異国で負傷したり、飢えて死ぬ間際にかつての豪華すぎる花見が走馬燈のように駆けめぐったのかなあ。
運良く生還できた子は、焼け野原と飢餓の時代にうまく適応することができたでしょうか?幼い頃身につけた豪華なオーラを、生かせるような生き方を選べれば良いのですが。