佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

 有楽町の日劇(現マリオン) 定点観測


ストイックな純喫茶が「ナポリタンはじめました」の貼り紙で、なしくずしになっていくような感覚を味わってください。

有楽町の日劇昭和8年頃。設計は銀座和光だの原美術館、上野東京帝室博物館(現東京国立博物館)、日比谷第一生命館などを手がけた渡辺仁氏。
和光と同じく立派なイメージです。



戦争をはさんで、敗戦後。昭和20年代前半。中央にちょっと看板あり。拡大画像はこちら



別の角度から。GHQのバスが走っています。拡大画像はこちら



昭和27年頃(1952年頃)「春のおどり」。千歳飴の袋のようにおめでたい。最近の人なら、アジアの可愛い過剰⭐︎と思うかもしれません。春のおどりの下に「私はシベリヤの捕虜だった」のタイトルが見えます。拡大画像はこちら


で、オリンピックの頃(昭和39年、1964年くらい)。劇場の前に車が飾ってある。看板は「夏のおどり」になっていますね。

Tokyo-Night-Street-08この小さい写真は思いっきり拡大できます。上の階のカーテンの様子がわかるくらい。


同じ人が撮影したらしいオリンピックの頃の、夜の銀座写真、青森県三沢などが沢山あるページ。
http://www.flickr.com/photos/7999684@N08/tags/japan/




そして、日劇の最終の姿。1980年代はじめです。(銀座百点624号から)


「来夢来人」という垂れ幕までつけられちゃって。「来夢来人」「農林年金会館」「デン晴海(ホテル)」「後楽園矢野大サーカス」「象物語」「いい色との出会い東芝カラーテレビ」「日劇ミュージックホール、素敵なショータイムをあなたに」「鶴田浩二特別公演」などの看板があります。
私はこの段階の日劇しか知らないのですが、もはやただの「変なビル」でした。
このあと取り壊され、有楽町のマリオンになります。



マンハッタンラブストーリーが好きだった方へ、ミニトリビア。
日劇を設計した渡辺仁氏は、八ヶ岳高原ヒュッテ(元 公爵徳川義親氏の邸宅)も手がけたそうです。八ヶ岳高原ヒュッテは、テレビドラマ「高原へいらっしゃい」(田宮二郎由美かおる主演)の舞台。マンハッタンラブストーリーで「軽井沢まで迎えにいらっしゃい」になっていたました。

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