佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

危険な映画=ディズニーのダンボ。


ダンボって、いつの時代に作られた作品だと思いますか?


「古典だろうけれど、あの鮮やかさだから、戦後?」


実は…………日米開戦の年(1941年/昭和16年)の作品なのです。
真珠湾攻撃の「帝国陸海軍は今八日未明 西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり」とか、そういう時代のダンボだったー



(日本はアメリカ映画禁止になったので、ダンボの上映は戦後になるわけですが。)


古谷 綱正(1981年までTBSテレビニュースキャスター)の「私だけの映画史」に、戦時下、古谷氏が“ある状況下”でダンボを見たエピソードが出ていました。
毎日新聞記者だった古谷氏(凄まじい映画少年)は、 日本占領下のフィリピンに出向します。
フィリピンでは、日本では禁止されているアメリカ映画が、まだ山ほど上映されていた!!!
これ幸いと、マニラでむさぼるようにアメリカ映画を見まくる古谷氏。


しかし、そんなアメリカ映画天国マニラでも、上映禁止になっていた映画がありました。
それが、ダンボ!


上映禁止の理由は、「そのみごとな色彩技術は、アメリカに対する崇拝熱をあおる」から。
古谷氏は、軍の映画班に頼んで「ダンボ」を試写室で見せてもらい、
音楽と色の美しさに度肝を抜かれてしまいましたとさ・・・


「私だけの映画史」は、戦前、戦中の日本や、日本の支配下にあったアジアについて“その土地に、ボクのお気に入りの映画館があるか、ないか”がシンプルな軸として書かれている。映画のことはわからない私でも歴史読み物として読むことが出来ました!


あと意外だったのは、若い頃の古谷氏が、新聞記者といっても颯爽としているタイプではなく、DT感の強い(お坊ちゃん育ちの映画漬け少年だから?)、いじけた感じの無気力新聞記者だったことですねー。

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