佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

お上品を勝ち取る(国立市の場合)



画像は、「まちづくり奮戦記」より


とっても、とっても、上品な学園都市、東京都国立市。しかし文教地区のこの街にも、かつてはパンパンと米兵のためのホテルや酒場がありました。(この辺の事情は、国立市が出してる「まちづくり奮戦記」にしっかり書かれています。)


すぐ隣町が立川基地だったため、米兵と「街の女」「基地の女」が国立に流れてきたのです。朝鮮戦争の戦時手当をたっぷり持った米兵は、金遣いが非常に派手なことで有名なヒト達……明日の命が分からない身だから今晩で使いきったれ!みたいな。


敗戦から数年、日本がとても貧しい時代のことです。米兵が国立に落とすお金は魅力的でしたが、町は将来どんどん荒れていくことが予想されました。(実際、国立の隣町である立川はつい最近まで、バイオレンスの本場として映画の舞台になりがちだった。)


国立では、米兵と「街の女」が昼間から酒を飲んでじゃれあい、子ども達はそれを見物したり、拾ったゴム製品で遊んでいたそうです。国立の下宿も「街の女」に間貸し、そこにGIが通いました。(そういう女性に部屋を貸しておくと、大家さんはそのツテで進駐軍の豊かな物資=タバコ・菓子・化粧品等を入手できた。)


しかし、学校の多い土地柄でこの環境はいかにもマズかろう!というわけで住民運動が起こり、文教地区指定になったのです。



文化的な環境をとるか?それとも商業の繁栄をとるか?で、街は2つにわかれ大モメにモメました。文教地区にしようと運動をする家庭には、ボウリョク団が脅しに来たとか。結果、文化的な環境をとるグループがわずかな差で勝ち、現在の国立が誕生したのです。


(数年前、私は仕事の関係で、文教地区指定の運動をした女性と話し、逆に、国立から追い出される立場の女性とも話したことがありました。どちらも高齢&裕福でした。2人とももう亡くなっていることでしょう。)

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