10年ほど前、近所の豪邸に住む高齢の女性と知り合う機会がありました。
かつて“お店”をやっていたというだけあって、超しっかり者でした。腰が痛い、痛いと言いつつ、シャルル・ジョルダンのハイヒールを履いていた。頻繁にエステに通っていて顔のシワは、ゼロ。
自分の髪を「お髪」と言い、「父に、送っていただいたの・・・」みたいな、微妙〜な丁寧語を使う人でした。*1
彼女は、敗戦間もない頃、隣のT市(基地の歓楽街として発展した街)のダンスホールで働いていたそうです。近所の人からは不良と呼ばれたけれど、良いシューズをはくと永久に踊れるような気がしたとのこと。
その頃、私は敗戦直後のことをよく知らなかったので、ダンスホールって、「Shall we ダンス?」のお教室みたいなものかな、と思い
「その街には、アメリカ人が沢山いたんですってね。」と何気なく聞きました。
すると彼女は
「さあ、そんな人達、いたかしらねえ……?」
と言ったのです。
もし、この時、彼女が「ええ、アメリカ人がずいぶん沢山いたわよ、基地があったから」とサラッと答えていれば、私は、「へえ、そうですかー」と聞き流していたと思います。
■しかし、「ん、何か変だな?」と思ってアンテナを立てた私は、その後、彼女だけでなく、「さあ、そんな人達、いたかしらねえ……?」精神で、きっちりコーティングされていることに気づかされるハメになったのでした。
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さて、敗戦直後のT市で育った少年・杉山登志(昭和11年生まれ)は、大人になると資生堂で最強に美しいCMを手がけるようになります。そして1973年に、30代で首を吊ります。
有名な遺書
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません。
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです。<<
- 作者:
- 出版社/メーカー: PARCO出版局
- 発売日: 1978/12/10
- メディア: 大型本