■お洒落な人は、毛先や、爪、靴など先端まで注意がゆきとどいているそうですねー
ヒトの生命力も、やはり末端にあらわれがち。例えば、“一高生の紅い独活のような脚”(森茉莉)とかね。
末端って、あなどれません…。
戦時中、ある航空技師*1はアメリカの一般人が使う電気カミソリを見て、「日常生活で使用する製品にさえこんなに差があるアメリカに、いったい戦争で勝てるのだろうか?」と不安になったとか。(国の勢いも末端=日用品にあらわれる?)
■さて、先日、京橋で「昭和20年代のカラー写真を見る会」をしました。皆さまのRTのお陰で30名ほどの方にご参加いただきました。
(拡大画像)
その時、この写真を見て「複数の雑誌が、ヒモで“横に”吊されていること」に気づいた方がいました。この陳列方法をしているということは、よほど雑誌が薄く、紙も薄いのではないか…というご指摘です。
(参加してくださった皆さんは、1人ずつ着眼点が違う上、集中力・観察力がものスゴイのでした。)
【関連話題】同時期の「装苑」のオシャレ業界人座談会の話題が、“純綿は闇市で手に入る”みたいな、オシャレ以前の内容だった件
当時の写真をじーっと見ると、本を読んだだけではピンとこなかったアレコレが、ほんの少し身近になるような気が、します。