日比谷公園内のアーカイブカフェで売られている「日比谷公会堂想い出エピソード」*1。80歳前後の方が日比谷公会堂にまつわる文章を寄せています。
ほとんどの寄稿者が敗戦時にティーンエイジャー(又はそれ以下の年齢)なので、想い出話も「戦後」がメインですが、投稿者の中では最高齢に属する85歳の方のエピソードにカタカナ禁止の様子が描かれていました。
ヘンリー倉田さん(85歳)は、昭和16年に慶応の中学生。「ワイメアハワイアンズ」のメンバーでした。昭和16年の5月に日比谷公会堂で「ワイメアハワイアンズ」発表会を開催した時には、公会堂を聴衆が2周したそうです。
しかしその後、洋風題名、洋風歌詞は禁止になり、翌年の昭和17年には、「ワイメアハワイアンズ」改め「南の微風」発表会……ということになったとか(゚o゚;;
「南の微風」コンサートプログラム抜粋
大東亜戦に輝く勝利を迎へた今、ここに関心多き南海の島々に育まれた音楽を演奏できます事を深く喜ぶと共に(中略)酷熱の下南方の島々に世界平和の為戦って居られる皇軍の将兵方のご辛苦を偲びつつ今宵心ゆくまま南海の音楽を鑑賞致そうではありませんか。
また開演前には「宮城並びに明治神宮遥拝、戦没将兵に対し黙祷、皇軍の武運長久を祈る」を国民儀礼としたとのことです。
*1:2010年11月発行