獅子文六の「丸の内芝居見物」(「へなへな随筆」1952年)に、敗戦から数年たった頃の劇場レポートがありました。すこし長くなりますが引用します。
1日で、3カ所をまわる盛りだくさんなコースです。
①帝劇で人形浄瑠璃
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②日劇小劇場で「裸レビュー」
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③日劇でエノケン
①まず帝劇の人形浄瑠璃
帝劇に入ったのは、戦後始めてだった。舞台機構も、舞台と客席の釣り合いも、ここが東京で最も優れているのに、二つの興行資本に挟まれて、苛め抜かれた劇場である。その疲れが、客席の壁にも、舞台額縁の金箔にも、表れている気がする。空気が沈み、色が褪せ、これがかつての帝劇かと疑わしめるが、文楽の興行には、むしろ調和があった。(中略)
義太夫や人形浄瑠璃の誇張性は、多少デカダンスに堕入っている点もあろうが、私たちファンはそういう悪い外皮を剥き捨てる術を知っている。中身は決して腐っているわけではあるまい。(中略)
客席は六分の入りであるが、ラジオで嫌われている義太夫も広い東京にはファンがいるらしく、中年、老人のほんとの愛好者が静かに見物しているのは、気持ちがよかった。
②日劇小劇場で「裸レビュー」
それから、時間の都合で日劇小劇場に「クライマックスショウ」へ回る。文楽からハダカ・レヴィユウは、どんでん返しであるが、ちょいと歩いただけで、そういう変化のあるのが、丸の内センター圏というべきであろう。これは立錐の余地なき満員である。9割5分まで、若い男性で占められている
③同じく日劇で、エノケン
その足で、同じ建物の中のエノケン一座に回る。ここも相当の入りである。「無茶坊弁慶」という芸題で、エノケンがパロディッシュな弁慶に扮する。私はヴォードビリアンとしての彼を、高く買っている。
これも義太夫と同じことで、エノケンも悪い外皮を剥いて食うべき果物である。彼がヘンな声を出したり、ヘンな腰つきをするぐらいで、神経質に辟易する必要はない。それは彼が観客に送る挨拶にしかすぎないのだから、知らん顔をして差し支えない。
人形浄瑠璃が"皮をむく必要がある果物"なら、「ハダカ・レヴィユウ(裸レヴュー)」は、"むかずに食べられる果物"なんでしょうね。
裸レビューの会場を埋め尽くした「若い男性」も、2012年は、80歳代になっていることでしょう