佐藤いぬこのブログ

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お灸とお釜

お灸といえば、せんねん灸を思いうかべる人も多いと思いますが、カマヤミニというブランドもあるんです。普通にドラッグストアで売ってます。

お釜と「もぐさ」

「カマヤミニ」って、カタカナで書いてあるから、漢字では「鎌谷」なのか「釜家」なのかわからなかった。で、最近、江東区の人工の川について調べていたら「釜屋堀」という言葉が出てきたんですよ。「釜屋堀」は小名木川横十間川の交差するあたり。

「釜屋堀」と「カマヤミニ」、関係あるのかしらと思ったら?と思ったら…、意外に関係あった。なんでも江戸時代、小名木川のほとりにお釜とか鋳物とかの産業が栄えてたんですって。人工の川は重い材料を運ぶのに適しているし、海路と違って天候の影響を受けないのが都合良いらしい。

そして、お釜を作っていた滋賀県由来の家が、滋賀の産物「もぐさ」を売ったことから「釜屋もぐさ」になったようなのです。以下、釜屋もぐさのwikiより引用

七左衛門・六右衛門は万治元年(1658年)に深川上大島町(現・江東区猿江二丁目16番地東側)に工場を構え、明治に至るまで鍋釜を作り続け、隆盛を誇ったが、一方の治左衛門は三代目が郷里の名産伊吹もぐさに目を付け、転業しこれを専門に扱うことで差別化を図った。まもなくこれが江戸市中で評判となって、大店に成長し、治左衛門は天明・明和の頃町名主を務めるまでになった。

牛乳屋さんのつくったドーナツ的な、お釜屋さんのつくったお灸……という感じなのかしら。ようしらんけど。
▽もぐさの袋の上の方にお釜のマークがある。

おまけ:化学肥料なら「釜屋堀」?

釜屋堀っていうと、なんだか、細〜い、時代劇のセットの川みたいなイメージだけど、昭和初期の写真をみると(土木学会サイトより)、意外にも工業の香りがプンプンですね!

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昭和3年小名木川工事,横十間川工事」

三井財閥を築き上げた益田孝の自伝にも、肥料の会社(東京人造肥料會社)を立ち上げるにあたって、やはり「深川の釜屋堀」に工場をつくった、と書いてあった!現在も釜屋堀公園には「化学肥料創業記念碑」があります。

また、渋沢栄一財団のサイトにも、「東京人造肥料株式会社本工場」といえば釜屋堀だよね、みたいな記述と、工場の煙モクモクの写真が。

東京府南葛飾郡大島村釜屋堀
人造肥料は直ちに『かまやぼり』なる語を聯想せしむ、思ふに東京深川釜屋敷なる東京人造肥料株式会社は本邦に於ける人造肥料の鼻祖にして、夙に人口に膾炙し、隠然全国人造肥料業の覇たるの観あればなり。



以上、お灸と、お釜の関係でした。
モグサは、ふわふわした軽いものですが、たどっていくと鋳物とか工場とか硬そうなエピソードににつながっていてビックリしました!

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