昭和3年「現代漫画大観 日本巡り」より、「赤羽」の図。
「渡し船で荒川を越えると桜草で有名な浮間ヶ原だ。草の中に桜草を取るなと書いた札が立っている。」
洋装のモボとモガが、桜草見物しています。あるいは密かに持ち帰ろうとしているかな?
赤羽〜浮間ヶ原、荒川の改修で流れが変わっているから昭和3年の観光案内とは、様子
がかなり変わっているかも。
浮間の桜草って、江戸時代から有名だったんですね。
しかし荒川周辺の環境変化で、桜草は衰退、と。
この付近に戸田斎場(民営の斎場・火葬場)がありますが、出来た当時(昭和元年)は荒川が今とは違うところを流れていたそうです。
板橋にあるのに「戸田」斎場なのはなぜ?(wikiより)
板橋区内にありながら「戸田」と名乗っている理由は、1926年3月29日の設立当時は荒川が葬祭場よりも南側を流れており、葬祭場のある現在の舟渡4丁目が埼玉県戸田町(現在・戸田市)に所属していたためである。その後河川が改修され、1950年に板橋区に編入された。戸田変電所が板橋区内にあるのも同じ理由である。