「銀座シネスイッチ」のことをネットで調べていたとき、かつての系列店が東京の東側に沢山あったことに驚いた経験があります。wikiで見ると以下のような場所です。
三光館(南砂町1丁目285番地)
亀戸映画劇場(かつての亀戸松竹館、のちの亀戸日勝映画劇場、亀戸町3丁目168番
南砂、小松川、小岩、亀戸、平井、など「銀座シネスイッチ」のイメージとかけ離れた地名ですよね。昔は東京の「東側」が大工業地帯であり、娯楽映画にお金を落とす人口が多かったのでしょう。
ちなみに以下の図は実現されなかった、幻の東京山手急行電鉄路線図(昭和2年頃)。地図で解明! 東京の鉄道発達史 (単行本)より。
墨田区・江東区のあたりに工場が煙を出しているイラストがありますよね。開業予定の駅として、小松川、砂町など、かつて「銀座シネスイッチ」の系列店があった地名も並んでいる。東京山手急行電鉄の売りの1つに、乗降客が多い工場地帯を結ぶことがあったそうです。
沿線には鐘紡、東洋紡、富士紡、大日本製糖、東洋モスリン、東京毛繊、富士製紙、日本皮革、専売局工場を始め大小130余の工場がひしめき、そこへ出入りする乗客の多さは保証つき。
そういえば、COOK PAD芸人 藤井21さんのYouTubeで楽しい酒場探訪を見ることができますが、行先が戦前の工場地帯とかぶっていることがあります…。藤井21さんが「いい雰囲気の商店街だな」とつぶやく場所が、かつて大工場があったエリアだったり。現在、工場は移転して工員さん達はいなくなっても、商店街の活気はまだ残っているのでしょうか。
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ところで、私の生まれ育った中央区月島・勝どきも、かつての工員さん向けと思われる濃い飲み屋街がありました。今はマンションが林立していますが、戦前の月島は工場地帯でした。工場地帯でありながら(聖路加病院が近いために?)空襲を免れたのです。(「女は2度生まれる」(1961年)で、若尾文子が知り合う17歳の少年は「おれ、工員なんだ!月島の旋盤工!」と元気に自己紹介していました。1960年頃の観客には、月島=工場・工員という共通認識もあったでしょう。)