東京都中央区が出している「中央区の女性史」、いろいろな立場の中央区の年配女性の聞き取りで内容が濃いです!少しずつ感想や情報をまとめていきますね。
No.3「父に仕込まれた豆腐屋稼業」銀座8丁目の豆腐屋に生まれた女性。 以下、引用します。
三原橋の下は三十三間堀という川でしたから、あたしたちの木挽町も、本当の銀座の方から見りゃあ、「川向こう」なのよ。そう、言われましたもの、はい。木挽町ですから、周りは置屋さんばっかりでしたよ。料亭とかお茶屋さん、待合、仕立て屋さん、小唄のお師匠さん、有名な美容師の先生のお住まいもありましたしね。いっぱいごちゃごちゃ細かくありましたから。
かつての中央区は堀だらけだったので「川向こう」が沢山ありそう。今は埋め立てられて地続きになっていますが。
吉田健一が「東京の昔」の中で、“三原橋(かつてシネパトスがあったところ)の水が上げ潮で動いている、この掘り割りはテームス河に繋がっている…”みたいに書いていたけれど、私が子供だった頃は殆ど埋められて駐車場になっていましたね…。なのでテームス河に想いをはせることは不可能でした!
ちなみに映画「流れる」では、栗島すみ子が「川向こう」という言葉を使っていました。栗島すみ子が怖いキャラ(見た目は柔和なので余計怖い)として登場するのですが、映画終盤で「あの人なら、川向こうで何とかやってくでしょ」というニュアンスのセリフを吐き捨てるように言っていたのが印象的でした。