佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

築地の仲買から新宿駅西口の菓子屋へ

東京都中央区が出している「中央区の女性史」。中央区の年配女性(立場が色々!)の聞き取りで内容が濃いです!少しずつ感想や情報をまとめていきますね。

 

No.2「店と家族を守った母の教え築地の仲買業の次女として生まれた女性の話。以下、引用します。

うちは日本橋四日市市場で「大直商店」という仲買をしておりました。(中略)築地に中央卸売市場ができまして、すぐに店は築地に移転をし、じきに住まいも築地に移しました。昭和10年です。

 

戦争中は市場も中止で、父と店の人たちは市場の会社に入りまして仕事をしていました。戦争が終わってもすぐに回復しないもんですから、うちでは新宿でお菓子の小売業を始めまして。はっきり覚えていませんが、新宿駅の今の西口のまあるい植込みのあった広場のところがいくつかに仕切られていましてね。父の知り合いから 大直さん店をやらないかと声をかけられてはじめたんです。

新宿は復興が早くて、店は京王線国電の乗降客の通り道だったから、何でも飛ぶように売れました。

 

そのうちに市場も回復して配給制度もなくなり、昔のように仲買業が始まりました。 (中略)築地のお店の人たちは、店のことをしながら交代で新宿に通っていました。倉庫が何カ所かありましたので、そちらにも母は仕事の手配に行っていました。新宿の店は昭和30年代の初めに西口駅の周辺が再開発されることになりましたのでやめましたが、おおぜいの使用人と家族とがひとつの屋根の下に住んでいましたから、母の気遣いは大変だったと思います。

敗戦後の新宿にできたお店の中には、このケースのように、止むを得ずよその町から来ている場合も多かったのでしょう。「築地のお店の人たちは、店のことをしながら交代で新宿に通っていました。」とあるように、復興した築地と新宿西口とで並行して商売しているのも興味深い。

 

新宿駅西口といえば、昭和47年の「ウルトラマンエース」で、偽の郷秀樹隊員ことアンチラ星人(団次郎)が新宿駅西口に現れるのですが、その時はデッキも人混みの感じも今の西口と同じなんですよね。短期間に大きく変わるものですね!

 

参考画像 新宿歴史博物館より「開発前の新宿駅西口。小さな商店が並ぶ。」昭和34年頃

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参考画像 新宿歴史博物館より「開発工事が始まった新宿駅西口広場。左が建設中の小田急デパート。(現小田急ハルク)」昭和36〜37年

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