佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

新富町、理髪店

東京都中央区が出している「中央区の女性史」。中央区の年配女性(立場が色々!)の聞き取りで内容が濃いです!私も中央区出身の人間。少しずつ感想や情報をまとめていきたいと思います。

 

No.6「坊主頭に、と言われ跡継ぎに新富町の理髪店に生まれた女性の話。以下、要約・引用します。

 

新富町は「やぐら下」といって新富座にやぐらがあったからそう言われていたんだと思うんですが、当時は新富座の出方さん、花柳界の箱屋さん、そういう方がおおぜい住んでいらしてお客様でした。髪型は短い角刈りで手バリカンで上の方まで刈るんです。

お客様の中に松竹の社長さんで大谷さん、白井さんがいらしてお二人が忙しいときは、新富座の楽屋に行ってやらせていただいたそうです。父は顔は大きい、鼻は高いといった役者顔なもんですから、猿之助さんのうちから養子にもらえないかってお話があったらしいですけど、そのあと弟さんが生まれたからお断りしてよかったんです。

  「父は顔は大きい、鼻は高いといった役者顔」とありますが、いやあ、かつては顔が大きい方が役者向きだったのですね。

 

「躍金(てっきん)旅館」てあったんですね。阪東妻三郎さん、高田浩吉さん、鶴田浩二さんが泊まってらして阪妻さんは「なるべく早くやってくだしさい。みなさんが来ないうちに」って朝おみえになるんです。高田浩吉さんには頼まれて宿屋に出張していたようです。

 お客さんである俳優が泊まっていた「躍金(てっきん)旅館」は、今、新富町にある「割烹 躍金楼」のことでしょうか。新富町躍金楼店舗 文化遺産オンラインには以下のような説明が。

旧花街にある店舗兼住宅で、街路に南面して建つ。切妻造妻入の両側に下屋を出し、東側面に居室が別棟で取付く。内部の改変があるが、外観は伝統木造の料亭の姿を留め、正面の僅かな空間に前庭を取って門塀を構えるなど、地域の歴史的景観を伝える希少な建物。

 

どうも私は、新富町に馴染みがないまま今に至ってしまいました。子供の頃(昭和50年代初め)築地に住んでいて、当時開業したばかりの新富町駅を利用していましたが、駅以外に目がいくことはなかったのです。目白の私立中学まで通学するにあたり、親は新富町駅護国寺のルートをすすめたんですね。しかしその頃の新富町駅は始発駅。新し過ぎて利用者も少なく、とても淋しかったことを覚えています(今の年齢なら、なに?始発駅!1本で座っていける!、と大喜びなのですが。)

 

↓理髪店のお客様として名前が上がっている鶴田浩二さん、かつての日劇の下の方に鶴田浩二特別公演の掲示が見えます。日劇掲示多過ぎ。

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冊子「銀座百点」より



 

narasige.hatenablog.com

 



 

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