私が子供だった昭和の頃は、戦前の建築がまだ沢山残っていたようなのです。「ようなのです」と煮え切らないのには理由があります。戦前のビルは改造されたり広告が沢山貼られたりして、原型が全然わからないケースがあったから。(例・有楽町日劇、数寄屋橋阪急など)
以下の写真は東銀座にある東劇です。雪印の広告がドーン!東京都中央区に住んでいた子供時代に何度もバスで往復した晴海通りですが、東劇が古い建物とは思わなかった。それよりも目のやり場に困る映画の看板(抱擁シーンとか)の記憶が強い。以下、写真のキャプションです。
映画館東劇(東京劇場)の旧ビル。築地4丁目。晴海通りに面した築地川のたもと。手前は万年橋。1930年の開場で、戦中戦後には歌舞伎や演劇を公演する一時期もあったという。(1962年5月)
↓これが「東劇」の元の姿です。上の塔の部分を隠すような形で「雪印」看板が設置されているかと。雪印の看板ドーンの1962年は、この建物ができてから30年しか経ってないんですね。今の感覚だと古い建造物を大切に!となりそうだけれど30年くらい前だと、ちょうどありがたみが薄いのでしょうか。
ついでに、カラーの東劇の写真です。 Flickrより1952年の東京
引きで見るとこんな感じ。晴海通り。手前が銀座、奥が勝鬨橋&晴海。
もう一つ、建物の原型がわからないケースを。 秋葉OLの楽しみ探しさんで知ったのですが、今はなき数寄屋橋阪急=マツダビル(跡地にできたのが東急プラザ銀座)も改造物件だったそうです。戦前の建物とはわかりませんでした!
↓これは、もとの数寄屋橋阪急=マツダビル(Flickrより)。東劇と同じく、塔の部分を取って平にしているようです。塔があると古臭いって思われていたのでしょうか。
↓これは、手前が和光(TOKYO PX)で、奥が数寄屋橋阪急=マツダビルビル。(Flickrより)。銀座なのに、寂しい写真です。
↓藤田加奈子さんの「日曜帖」に、なんと、数寄屋橋阪急(マツダビル)の「塔」の部分から銀座を撮影した写真発見!さすがです。