長谷川時雨の「東京開港」にこんな文がありました。
「若い時、というより、あたしたち、小娘時代に、川崎へいって、穴守へいって、帰りに品川まで早船へ乗ったことを。夕潮が高くって、みんな、大人は酔っぱらったのに、私もあなたも平気でしたろう。船が好きだったわねえ。何処へ行っても、船をめっければ、屹度乗ったものだったわ。」
地図で解明! 東京の鉄道発達史 (単行本)を読み返してみると、どうもかつては「川崎大師」と「穴守稲荷」の参拝はセットになっていたようです。「穴守稲荷」付近は、海水浴や潮干狩りを楽しめるレジャーランド的なエリアだったとのこと。下の図(地図で解明! 東京の鉄道発達史 (単行本)より)を見ると、この界隈はすごく楽しそう!
穴守稲荷に描かれている人が「これから川崎の大師様に参詣いたしませう」と言っていますね。ただの参拝でもアガるのに、「川崎大師」と「穴守稲荷」を多摩川を横断して両方行くのは、非日常のきわみ!命の洗濯になったのではないでしょうか。
昭和16年の地図のためか、羽田付近で遊覧飛行機に乗っている人のセリフに「防空施設の必要を痛感するね」とあります。楽しく浮かれるエリアだからこそ「防空施設の必要を痛感するね」と書き添えて免罪符にしたのでしょうか。
(舟が沢山描かれていますが、あいにく「東京開港」に出てくる"品川行きの、船酔いするほどの早船 "は読みとれません‥)
このエリアって、シン・ゴジラが上陸する場所でもありますね!