古関裕而 の本を読んでいます。軍歌のヒットを飛ばした小関が、1939(昭和14)満洲を視察する様子に興味津々。中でも、小関が自伝の中で"朝鮮の地名を間違えていたらしい‥"という部分が目にとまりました。以下引用。
小関と久保田は、この機会を利用して、満洲全域を現地視察した。北はチチハル、ハルピン、東はチャムス、牡丹江、図們、南は大連、安東まで。小関は自伝で新義州と書いているが、これは朝鮮の地名なので、安東とするのが正しいだろう。現在、中朝国境の町として知られる丹東がそれである。もしくは、対岸まで渡ったのかもしれない。
想像にすぎませんが、ある時期までの日本人にとって、国境の地名である「安東」と朝鮮の「新義州」は、町田市が東京だか神奈川だか一瞬、迷うような、そんな感じだったのではないでしょうか。←違う💦
↓現在は北朝鮮である「新義州」(丹東)が、"日本の観光名所"だった時代の絵です。(昭和3年「日本巡り 現代漫画大観」より)。当時は、「日本巡り」にピョンヤンや、京城が出てくるわけです。ちなみに、この達者なイラストの作者は俳優の池部良のお父さん。
こちらは、大連と日本を結ぶ飛行機のポスター。大連→新義州→平壌(ピョンヤン!)→京城を経て→福岡とあります。今みると「新義州ってドコ?」という感じですが、当時の人にとっては「ああ、新義州でしょ、あそこに空港があるのね」ってピンときたのでしょうか。
全体像。「即日連絡」とあります。wikiによれば、このポスターに書かれている「日本航空輸送株式会社」は戦後の日本航空とは無関係で「1938年12月に同社を国策会社へと改組し、民間航空輸送の統合政策の下、国営の大日本航空となった。」とあるります。よって、このポスターは1938年(昭和13)12月以前のものと思われます。
こちらは大連の飛行場絵葉書。解説部分を拡大してみると、「東京、名古屋、大阪、福岡、蔚山、京城、平壌、新義州に寄港する」とあります。新義州、本当に飛行機とまるんだ‥‥