獅子文六『胡椒息子』に登場する羽田空港と、半円形のサンルーム
“ヘリコプターで東京遊覧”ってバブリーな響きがありますが、獅子文六の『胡椒息子』(昭和13)には、金持ちの子供が「エア・タクシー」に乗って「東京の空の散歩」をこころみる場面があるんですよ。昭和初期の話なのに、えらく豪勢ですよね!
結局「エア・タクシー」には乗り損ねるのですが、『胡椒息子』から当時の羽田の様子を引用してみましょう。
染めつくように青い行手の空に、純白な、角砂糖を積んだような建物が見えた。(略)
そこはまるで小さなホテルのロビイのように、清潔で、明るかった。半円形のサンルームが正面にあって、そこから何万坪とも知れない広い草原と、青い東京港が見渡れさた。隣に喫茶室があった。(略)
飛行機に乗り降りする旅客達が、一憩みする場所であるらしい。
「半円形のサンルーム」を持つ「角砂糖を積んだような建物」!すてきじゃありませんか。どんな感じかなあ?思っていたら、藤田加奈子@foujika さんのツイートに画像を発見しました。さすが…
藤森静雄《大東京十二景の内 十一月 羽田の秋(東京飛行場)》昭和7年、図録『近代版画にみる東京』(江戸東京博物館)より。 pic.twitter.com/RZo5Z0he6x
— 藤田加奈子 (@foujika) 2017年2月18日
獅子文六『胡椒息子』連載時の雑誌を入手しました。羽田の挿絵はこんな風。
昭和12年11月号「主婦之友」
▽拡大したところ。うっすらとサンルームが描かれています。
▽そういえば、庭園美術館(昭和8年竣工)にも半円形のサンルームがありましたっけ。庭園美術館(旧朝香宮邸)も"角砂糖を積んだような建物"の仲間でしょうか。
羽田と、HANEDA ARMY AIR BASE
『胡椒息子』は昭和12年8月号から昭和13年9月号まで、約1年間にわたって「主婦之友」に連載されました。連載がスタートするやいなや日中戦争がはじまったわけですが、序盤では金持ちの贅沢ライフも(ぎりぎり)書くことができたのです。しかし、連載からたった8年後に敗戦。羽田空港は激変し、「半円形のサンルーム」も過去の夢になりました。
接収されていたころ
▽敗戦後、羽田が接収されていた頃の写真はこちら。中央にケーキのような形が見えますか?ここが「半円形のサンルームが正面にあって」と書かれた部分だと思われます。Base Operations, Haneda Japan
▽拡大画像。半円形の部分にHANEDA ARMY AIR BASEの看板が立ってます。
▽参考までに、これも羽田(1951)。「OFFICERS MESS HANEDA AIR BASE」(将校専用の食堂)。
▽「HANEDA FIELD」の看板。Air Transport Command, Haneda Field Tokyo, Post WW2
以上、羽田空港「半円形のサンルーム」の戦前・戦後でした。『胡椒息子』に描かれたモダン生活は、あっけなく終了したのです。そして敗戦後は
「国は敗れ、山河とパンパンだけが残った」(獅子文六『やっさもっさ』昭和27)
という状態に。
▽『胡椒息子』(昭和13)以降の獅子文六作品には、日中戦争の長期化とともに「時局の急転」「ご時勢」「時節柄」などの単語が頻繁に出てくるようになります。その過程を冊子にまとめました。よければご覧ください。