新型コロナによる緊急事態宣言が解除されたので、かねてから行きたかった庭園美術館で「東京モダン生活 東京都コレクションにみる1930年代」を見てきました。
そして、敷地の一角にある防空壕をチェック。防空壕は3箇所あるそうです。そう!1933年竣工の朝香宮邸にウットリしていると、「東京モダン生活」の時代には、防空壕時代がすぐソコに迫っているという点を、つい忘れがち。
「東京モダン生活 東京都コレクションにみる1930年代」では、1935年頃(昭和10)の銀座のモガの写真や都市の版画などが美しく展示されていました。それはそれでたいへん結構なのですが、このような昭和モダン系の展示は、その10年後の焼け野原も一緒に展示してほしい。洒落たモダン生活に、焼け野原を混入したら展示に統一感がなくなるけれど、あえて「後日談」のように付け加えてほしい。
ほら、なんとなく「1935年のモダンは庭園美術館が担当」「1945年の悲惨は九段の昭和館が担当」って、役割がわかれているじゃないですか…。「モダンはモダン」「悲惨は悲惨」、「ソレはソレ」「コレはコレ」って。でも、1935年と1945年は、平行宇宙じゃない。時間の流れは1つです。1935年から1945年まで、シームレスに展示してほしいのです。(辻田 真佐憲さん等とコラボして…)
輝いていた1935年から敗戦の1945年まで、アッという間だということを、現代の私たちは想像しにくい。しかし、アッという間にフェーズが変わる恐さを、今こそ私たちは体感する必要がありそうです。
たとえば、1935年の美しい銀座モガと一緒に、↓この煤けた写真(Flickrより)も展示してほしい…。この貧しげな町、いったいどこの場末?という感じですが、実は、これ、銀座なんです。矢印の建物をよく見てください。これ、焼け焦げた銀座三越なんです。ほらね、モダン生活も、恋の都も、あっちゅう間にこのザマですよ。あっけないですよ!
焼けたばかりの銀座三越。上の写真と比較してくださいね。