私は、戦中・戦後のことをチマチマ調べていますが、以前は、そんなもの一切知りたくない人間でした。親が戦時中に疎開していた世代なので、子供たちに昔の苦労を語り「それにひきかえ、恵まれたお前達は…」と説教するからです。
そんな私が変わったのは、10年ほど前に青山の古書店「日月堂」さんで「ホームライフ」という雑誌をなにげなく数冊買ったことにはじまります。「ホームライフ」は、上流階級の暮らしが取り上げられている浮世離れした雑誌だったので、「まア、優美ねえ」などと楽しく眺めていたのですが、ある号がいきなり軍国っぽい記事で占められていることに驚いたのです。
そう、昭和12年7月に起こった盧溝橋事件の後に、「ホームライフ」は大変身したのです。「雑誌って、こんなに短期間に変わってしまうのか!」とビックリ。(現代の雑誌で適当な例が思いつきませんが、例えば「Casa BRUTUS」や「ELLE gourmet」のような雑誌が、たった2ヶ月で戦争の記事ばかりになるような感じ…でしょうか。)
そんな急激な変化の、ほんの一例をご覧ください。まず、チョコレートの広告。「事変」前は、愛らしくも洗練されたイラストですね。「焦げ茶色の魅惑」というコピーに、バカンスの香りも漂っている。
ところが、同年の秋、昭和12年11月号。同じ明治チョコレートですが「工場」「健康」「品質」って。急に、チョコレートの夢がなくなっているんですけれど!
また、ファッションページ。昭和12年9月号では、まだ洋装の街角チェック特集をやっています。(今もこういう特集ありますよね)
そして、たった2ヶ月後の昭和12年11月号。急にモンペを推しはじめましたよ。2ヶ月前には「婦人服のモオド」とか言っていたのに。
この急激な変わりようを、編集後記からの視点で見てみましょう。「事変」直後の昭和12年9月号の編集後記は、ひとことで要約すると不安だなあ、でも落ち着かなくちゃ!です。"北支事変があったから写真部員が少なくなって、心細いな。戦地から送られてくる写真と、本誌の作っている優美な世界のギャップがすごいよ…。今は、国中が興奮しているけれど、いたずらに騒がないで、自分のできることをやっていこう"みたいな感じ?
そして、2ヶ月後の昭和12年11月号。カラ元気かもしれませんが、なんだか力強い文章になっている。この急な変身ぶり見ていると、変わるー変わるよフェーズは変わるー♪と歌いたくなってしまうのです。
※このあとの号(昭和13〜15年)は、それなりに贅沢雑誌に戻っていました。事変直後に地味にしすぎた揺り戻しでしょうか。