「暮しの手帖」の「浴衣を粋に着こなしたい」特集について

 

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2020年夏の「暮しの手帖」に「浴衣を粋に着こなしたい」という特集がありました。このタイトルについて少し考えてみたいと思います。

 

現在、浴衣や着物については「粋が目標!」のような空気があります。しかし、かつては「粋」をとりまく事情が微妙に違っていたようなのです。以下、その例をあげますね。

 

たとえば、昭和の人気作家 獅子文六の「ある美人の一生」は、「粋」を避ける女性が主人公です。

いつも束髪だったが、努めて、イキな形になるのを避けた。付近が下町であるから、イキづくりの風俗が、多かったが、彼女は、それに一線をかくするように、当時の言葉でいえば、"高等"好みにした。小作りで、キャシャな体つきが、ともすると、芸妓じみるのだが、彼女は極力、それを嫌って、医学博士の妻、富雄の母らしい品位を保とうとしていた。

 

 以上の引用で、「下町」「イキ」という言葉に注目してください。獅子文六は、横浜の裕福な貿易商に生まれた慶応ボーイですが、同じく彼が書いた「随筆 山の手の子」(昭和25年)には、

 

山の手は「ヤボの本山」

下町は「イキ」

 

と、「山の手と下町」「ヤボとイキ」が対照的に描かれています。(※獅子文六諧謔が売りだった作家なので「粋」は「イキ」、「軍部」は「グンブ」と、あえてカタカナ表記することが多いのです)

私が少年時代を過ごした学校には、山の手の児童が多く、下町の児童を「町ッ子」と称して区別した。下町は無智で旧弊の区域と思われていたが、しかし、内心、町ッ子の自由を羨むところがあった。

 

町ッ子の方が親から多くの小遣銭を与えられ、買物買食の禁制がなく、帰宅や勉強の時間制限もなく、自由寛達な世界に住んでいた。従って、町ッ子は陽気で、気楽で、役者の声色や落語の真似なぞできるのに、山の手の子は無芸な上にハニカミヤだった。町ッ子は大人の世界に混じって愉しんでいるのに、山の手の子は硬く立入り禁止だった。着るものも、町ッ子はは絹物を用いることがあっても、山の手の子は木綿の紺絣一点張りだった。

 

山の手の子は、たいがい厳しいしつけで育っていた。初代は文明開化を受け容れたといてっても、腹の底に残っている儒教や武士道が子供の教育に表れて、克己や質素をやかましくいうのである。(中略)中には、外国風の家庭もあったが、それはそれなりに教育がやかましい。万事やかましく育てられるので、山の手の子は、下町の子より道徳的に神経質で、痩我慢や片意地を持っていた。

 

地方の武士を先祖に持つ不器用な「山の手の子」に対して、門限のない家庭で育つ早熟な「町ッ子」…。

 

この「随筆 山の手の子」では、山の手の子の特徴として「正直で、上品で、清潔で、少しヤボ」をあげています。考えてみれば「暮しの手帖」こそ、まさに「正直で、上品で、清潔で、少しヤボ」な雑誌として愛されてきたはず。もし「暮しの手帖」が浴衣の特集するならば、「粋」を目指すよりも、もともとの持ち味を生かして「正直で、上品で、清潔で、少しヤボ」にした方が自然に思えますが、いかがでしょう…。

 

【参考1】奈良で生活する志賀直哉一家昭和11年8月「ホームライフ 」より)。志賀直哉は「随筆 山の手の子」で、「山の手の子の正統を感じさせる」人物として紹介されています。

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 志賀直哉の一番上のお嬢さん志賀留女子さん(20才)。同じ雑誌内で、奈良での暮らしを綴っています。獅子文六いうところの「山の手の子」の装い。

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 【参考2】明治生まれの女性に、「粋」についてうかがいました。

私は、よその人から「粋ですね」と言われたくないなあ。 お友達をほめる時も「粋ですね」とは言わない。ほめる時は「素敵ですね」とほめるのが一番じゃないですか?そのへんの奥さんは、1人の人に好かれればいいんだから。ご主人が野暮ったいのが好きっていうなら、別 に野暮ったくていいんですよ(笑)。

 

芸者さんは内股で歩いていました。あの人達はそれが仕事なんです。いつも綺麗にしていないと、命に関わるんですから。でも私たちは着物で何でも家の用事をするから、普通 にまっすぐ歩いていました。それに私なんかがシャナリシャナリしたって、お金もらえないしね(笑)

↓全文はこちらをご覧ください。

narasige.hatenablog.com

 

 

【参考3】芸者が小唄の師匠になって「粋な浴衣」を着なくなった例。昭和11年8月 「ホームライフ 」より)。写真の説明に「芸者時代ならもっと粋な浴衣をきたかも知れない市丸姐三さんも、いささか堅気めいた浴衣をきているが」とあります。この「いささか堅気めいた」という言いまわしの微妙さよ…。ちなみに写真がのっていた雑誌は、通常は深窓の令嬢のファッションのみを載せていますが、浴衣に関しては記事の中に「下町趣味」という言葉を用い、例外的に芸者を取り上げているようです。

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【参考4】祖母の姉の家が、暮しの手帖(1世紀)に載っていた件…

narasige.hatenablog.com