軍歌で当てたレコード会社(獅子文六『東京温泉』)
獅子文六の小説『東京温泉』(昭14)には、戦時中のレコード会社が登場します。※この「東京温泉」は、戦後銀座に出来た「東京温泉」とは無関係です。
そのレコード会社は、たまたま軍歌が大ヒットしたという設定。一発当てたのだから、 その後も軍歌を鼻息荒く売りそうですが、そうでもない。読んでいてソコが意外でした。
"もう軍歌のヒットは出ないかも。今のうちに次のジャンルを探しておかなくちゃ!"みたいな感じで焦っているのです。あげく「時局」にふさわしい明朗なスターを作ろうと、和製ディアナ・タービン(この投稿のアイキャッチ画像)のオーディションをしてみたり。
戦中はレコード業界に限らず、ニーズを探って右往左往することが多かったのでしょうね。(日中戦争の直前に、ユーモア小説家としてブレイクした獅子文六も例外ではいられません…)
もう「うぐいす芸者」は使えない
以下、『東京温泉』(獅子文六全集3巻・朝日新聞社)より、レコード会社のお偉いさんと、自動車会社のお偉いさんの会話です。 日中戦争以降、主力商品が変わった様子がうかがえます。
「何を言っているんだ。君の方こそ、儲かりすぎて困るだろう。こう見えて、僕らのほうは、平和産業だからね。」
「あんまりそうでもなさそうだぜ。軍歌のレコードで、当ててるんだから」(略)
「ところでその軍歌も、一応出尽くした形だね」
「しかし君の商売はいいよ、僕らのように、相手がエンジンだのタイヤだのと、殺風景な代物ではないだけね、その上、例の役得はあるしさ」
「役得?」
「とぼけちゃいけないよ。鶯(うぐいす)芸者を探すとか称して、官費で、茶屋遊びができるじゃないか。」
「人聞きの悪いことをいってくれるな。第一あんなことは、もう昔の夢さ、勝奴を掘出した時分までが、花だったね。今時、芸者の歌手なんか、用いようがないよ。」
と、服部氏は、それでも、当時が懐かしそうに眼を細めた。(略)
北支の空に砲声が轟いてから※今はもうハア節やイヤヨ節の世の中ではなくなった。
※ 「北支の空に砲声が轟いてから」は、昭和12年盧溝橋事件のこと。
▽「うぐいす芸者」の参考画像。コロムビア蓄音機と専属歌手の豆千代。ホームライフ 昭和10年12月巻頭広告です。
▽参考画像その2:コロムビア「子供の愛国行進曲」婦人公論昭和13年4月号
お子様がお歌いになる時のお手本として最良の標準版です。 この他東京音楽学校吹込みのを初め4枚、既発売! 内閣情報部撰定 文部省検定済
「この他 東京音楽学校吹込みのを初め4枚、既発売! 」って。バージョン違いも買ってね、ということでしょう(笑)
▽愛国行進曲と、漫画『大家さんと僕』
淫蕩な流行歌はダメ!
昭和12年夏の「事変」以降、お上からエロい歌はダメという圧力があったそうです。昭和13年の雑誌から音楽コラムを引用します。
昨年事変発生とともに国民精神総動員の建前から、内務省はそれまで巷間に充満していた野卑、淫蕩の流行歌の排撃に乗り出して、かようなレコードの制作に大弾圧を下した。それがため、それまでこの種のものを生命線としていた各レコード会社はたちまち悲鳴を上げるに至り、 ある種の会社のごときは当時その存立さえ危惧されるほどだったのである。 けれども、レコード会社が1つや2つ潰れようが、この非常時にはどうだって構わないのである。(『ホームライフ』昭和13年8月号/野村光一)
「レコード会社が1つや2つ潰れようが、この非常時にはどうだって構わない」って、冷たいなあ。“内務省がレコードの制作に大弾圧を下した”をわかりやすく翻訳すると、『東京温泉』の
北支の空に砲声が轟いてから、今はもうハア節やイヤヨ節の世の中ではなくなった。
になるのですね。ガッテン、ガッテン!
生き残りをかけて迷走する時代
『東京温泉』に登場するレコード会社のお偉いさんは、”和製「ディアナ・タービン」のスカウトに賭けますが、うまくいきません。その後、彼はレコード会社を辞めて「民衆的大浴場」を計画します。しかし戦中の「建築統制に阻まれ」、これも頓挫。もし「民衆的大浴場」が順調にいっていたら、後楽園のラクーアみたいになっていたかも?!
以上、獅子文六の小説『東京温泉』のご紹介でした。 ところで、古関裕而を描いた朝ドラ「エール」では「軍歌」という言葉を避けているとか。でも、せっかく朝ドラで戦中を描くならば、生き残るために(芸風を変えて)試行錯誤する人々も描いて欲しい。私たちだって、いつ、時代にあわせて変身するかわからないのですから…。