生き残り作戦

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(参考画像:ホームライフ 昭和10年12月巻頭広告 コロムビア蓄音機と専属歌手の豆千代


獅子文六の小説「東京温泉」(昭14)に、「事変」後の生き残りを模索するレコード会社の企画部長が登場します。彼は旧友から、"君のところは軍歌で当てたじゃないか?"とからかわれますが、"今までみたいに「ハア節やイヤヨ節」は使えないし、もう軍歌のヒットも出尽くしたかもしれないし…"と先行きを不安に思っている様子です。このように、「事変」(昭和12年7月)以降、商売のモードを変えざるをえない業界が多かったのではないでしょうか。もちろんユーモア小説で売っていた獅子文六自身も例外ではないでしょう。*1

 

以下、「東京温泉」より引用します。レコード会社企画部長の服部さんと、旧友である自動車会社重役Mさんの会話です。(ちなみにMさんの自動車会社は「事変でトラックが沢山売れるので、上半期のボーナスが沢山出た」という設定。)

 

Mさんは、「よウ…暑いのに、よく出歩く男だね。この近所に、儲け仕事でもあるのかね」と、眠そうな声で迎えた。

「ハッハッハッ、当たらずといえども、遠からずだね」

「羨ましいね。半口乗せないかい」

「何を言っているんだ。君の方こそ、儲かりすぎて困るだろう。こう見えて、僕らのほうは、平和産業だからね。」

「あんまりそうでもなさそうだぜ。軍歌のレコードで、当ててるんだから

と、揶揄われたとおり、服部氏は有名な金声レコード本社の企画部長を勤めて、Mさんとは学校以来の友人である。

ところでその軍歌も、一応出尽くした形だね

「しかし君の商売はいいよ、僕らのように、相手がエンジンだのタイヤだのと、殺風景な代物ではないだけね、その上、例の役得はあるしさ」

「役得?」

「とぼけちゃいけないよ。鶯(うぐいす)芸者を探すとか称して、官費で、茶屋遊びができるじゃないか。」

「人聞きの悪いことをいってくれるな。第一あんなことは、もう昔の夢さ、勝奴を掘出した時分までが、花だったね。今時、芸者の歌手なんか、用いようがないよ。」

と、服部氏は、それでも、当時が懐かしそうに眼を細めた。

 金声レコードばかりではないが、一頻り、そういう時代があった。文芸部や企画部の連中はもとより、支配人や社長までが飛び出して、隠れたる美声の持ち主を掘出すのに狂奔した。服部氏が、赤坂の花柳界で、勝奴を発見したのも、その時分の話だが、北支の空に砲声が轟いてから*2今はもうハア節やイヤヨ節の世の中ではなくなった。(略)

 

「だが、君、鶯(うぐいす)芸者が廃ったとしても、軍歌の方で、掘出し物があるだろう

と、Mさんが慰めると、

「いや、必ずしも軍歌に限らんが、時代は明朗健康なるものを求めているのだから、僕らもそのつもりで、常に新企画を立てているんだけれど、この間は、見事に失敗してね」

 

 ちなみに、このレコード会社の企画部長さんは、新企画として明朗健康な女性歌手をスカウトしようと試みるも大失敗。その後レコード会社を辞めて、中目黒に「大規模な民衆的大浴場」を作ろうとしますが、これも建築統制に阻まれて頓挫、というオチです(;´Д`)

 

辻田 真佐憲さんを読むと、朝ドラ「エール」では「軍歌」という言葉を避けているそうですが、せっかく朝ドラで戦中を描くならば、(軍歌も含めて)商売で生き残るために試行錯誤する人々を描いて欲しいですねー。私たちだって、いつ、ご時世に便乗するようになるかわからないし

news.yahoo.co.jp

 

 

*1:朝日新聞社版の獅子文六全集付録月報によれば、朝日新聞は「南の風」(昭16)の連載にあたり「大東亜共栄圏の建設に邁進する国民の南方への熱情を昂揚すること必定」と宣伝したとか。「私の代表作」(昭32)というエッセイで「南の風」について「少し便乗しちまったのは残念」と書いています。

*2:獅子文六は、盧溝橋事件を「北支の空に砲声が轟いてから(「東京温泉」)」とか「北支の炎天に銃声が響くと共に(「虹の工場」)」と表記する場合もあります。