全身、真っ赤な服の女の子たち
今日紹介するのは、1950年代前半の女の子たちです。敗戦から数年しかたっていないのですが、想像以上に服が真っ赤なんですよ。赤い!赤すぎる!ネットで見かけるたびに[Pinterest]にストックしてきたので、ここで一気にまとめてみました。(※すべてもとからカラー写真です)
【はじめに】1950年代前半のカラー写真が多数存在する理由については、こちらをご覧ください。
▽「赤い色をポイントに使うのではなく、全身真っ赤」なのがこの時代の特徴。
▽鼻をほじりながら立ち読み。(東京・立川付近)
▽1953年頃。
Angry girl | Japan, 1953-54 Photographer unknown | m20wc51 | Flickr
▽全身が赤い服の子と、おんぶしている姉(?)。この時代、「子供が子供をおんぶ」する写真が多いのです。
赤い服と、白いエプロンの組み合わせ
▽背景に綿アメ。
▽赤い服にエプロンの組み合わせ(その2)。上の写真と髪型まで似ているので、同じ子かと思ってしまいますが、別の子供なんですね、これが。
▽赤い服に白いエプロンの組み合わせ(その3)。女の子はほぼ全員赤い色を身につけています。
赤い足袋
▽赤い足袋に下駄、背景にGI。朝鮮戦争の頃です。
▽右側の子、赤い服と、赤い足袋。
【参考】大人の赤い足袋の例。凝ったデザインのジャケットは、基地の街(立川*1)ならでは。
Santa in Hachioji | Japan,1954-55 Photographer unknown | m20wc51 | Flickr
▽1952年三沢基地。赤い子が目立ちます。“Children Parade w gifts from Santa on Misawa”
▽猿を見る子供達。高野文子感。
赤くない服も
参考までに、赤くない服の写真もどうぞ。通学途中でしょうか?着物をリメイクした感じの子が多い。1人をのぞいて全員が下駄です。現在なら、マリーアントワネット気分で「あらー、素朴でかわいいじゃない」と言えてしまいますが…。敗戦後の栄養失調で死んだ子供(『芋っ子ヨッチャンの一生 』など)は写真にうつらない。
1950年仙台。中央に戦勝国の少女の赤いスカートが輝いています。540 - 29Oct50 - Sendai | NorbFaye | Flickr
以上、真っ赤な服の女の子たちでした。驚きの赤さですよね!1950年代の“真っ赤な女の子”たちがちょうど若者になる頃(=1970年)、アンアンが創刊されます。
▽同時期、朝鮮半島は戦場でした。
▽真っ赤な女の子たちが、大人になった頃(1972年)の装いはこんな感じ。